車は正直である・・・・
四年ほど前の、SAKURA D3 2駆・・・略、セットは、ケツカキ状態だったと思うが・・・・
ジムカーナの練習動画が有った・・・私の場合、動画撮影は、思いついた時にする、その為に、ぶっつけ本番・・・徐々に車に馴れて入ることで解ると思う・・・
急に思い立ち、行なった事を動画に残す・・・・之が、一番、今後の役に立つ・・・・
車の特性も、今見れば解る部分も有るし、操作も色々と解る。
結論を書けば、何時も書くように、オモチャと言う動き・・・2駆だが、私はジャイロの搭載を初期の取り組みの時に色々、否定されたので・・・・SAKURAでは搭載をしない、之を基本で進めた、その時の初期の車の挙動だし、操作技量と言う事になる。
誰が見ても、リアの軸加重が重い、リアヘビーな挙動を示している、結果、プッシュアンダーも強いし、其れを、避ける為に、大きくステア操作をしている。
仮に、ドリフターが言われている加重移動が確り出来・・フロントに確り加重が乗れば、小さな舵角表現でもフロントが動くし、もう少しフロントに加重を乗せれば、リアは簡単に横に出だす・・・
之が出来ない、リアに乗りっぱなしの挙動の為に、リアを出す操作も大袈裟だし、結果として、車がスーーと流れている部分が、随所に見える、勿論、操作側も其れを意識して、抜けを無くす操作を試みているが、誤魔化しても、瞬間的に多々見える事になる。
ドリフトの世界では、流れると言う言葉を、異常に嫌う・・・・私は仕方が無いと考えているが、この部分もRCドリフターの言葉を信頼して、進める方向になる。
この車の今後を知っている人は、解っていると思うが・・・結果的にリアの食い・牽引力に当たる部分の軽減に向かった。
この策が、結果的に小さな舵角で、ドリフト出来るかの顕照に繋がって行く・・・・
一年後の、動画と比べると、大きく変化している事も解る。この部分が、成長か退化かは解らないが、私の操作技量の引き出しのUPにも成っている。
しかし、操作技量と言う物は、車が無ければ、得る事が出来ない、その為に、車が大事だし、車の個性をどう変えるかが大事に成る。
物事には、作用と反作用とが有ると、先のブログに書いている・・・・・・之が正しいと言う物が若し存在するなら、その逆も試さないと、正解の良さ等々を、論理的に、理解できない。
この部分が、RCドリフターには欠如していると思う・・・何度も書くが、何故と質問をした場合、基本は人まね・・・その為に、論理的に言えない・・・若し言われても直ぐに矛盾点が見える・・・最後には、有名な、人の名前を出して、その人が責任と言う感じに言われる。
勿論、職人の世界でも、師匠の真似から始めるが・・・其れは身習い期間・・・一人前と言われる時には、論理的に言えると思うが・・・・・この一人前が、エントリークラスからの脱皮のポイント・・・この上に、エキスパートや凄腕と言われるレベルが有る。
本題に戻り、どう見ても、アンダー・アンダー・リアが出ていても、アンダーで出ている。この様な動きは、私はドリフトとは思っていない・・・・リアの蹴り出し感がまるで無いし、車の重さでリアがでる感じ・・・・出す為には、リアが重いので牽引力も高い、其れを破綻させる回転が必要だし、出る動きが駆動系から出ない為に、ステアで抉っている事もよく解る、動画だと私は、考えている。
之が格好良いとは言えない事は当然になる。
しかし、この小さな、動き等々を無視すれば・・・・ドンドン変な方向に向う事も誰しも解る筈・・・
特に、簡単に楽に、ドリフトコースでドリフトしている様に見せる、この部分に進み過ぎると、操作の醍醐味を捨てる事になる。
操作で感動を得る事が出来ないなら、人との絡みしか求める部分が無い世界に成るし、他人が出てきた時点で、対比が始まる。楽に簡単にが最初に有るので、当然、自分に楽な方向を他人、環境まで求め出す。
ドリフトの醍醐味は、自分の操作の限界部分と、車との勝負・対比が先ず大事だと私は考えている。
この部分が無くなれば、何の為にこのジャンルをしているか???この意味まで薄れ出す・・・最後は、走行自体も、回りに対してのお世辞の連打・・・この方向に向えば、走行が楽しいから、コースに伺う目的が、義務に成って行く・・・・この義務感も、相手が居るから、その相手も人間、難しい部分・・・
最後は、コースの為、仲間の為と、義務感で続けていたが、その部分が裏切ったと辞めて行った人も多い・・・・
先ずは、操作して楽しいと、思える車を作る事になる、勿論、各自の価値観や、レベルでも変わる部分・・・その為に、色んな車が有る、之が普通・・・勿論、之が普通なら、全て正しいし、間違いでもない・・・・後は、コース上で、迷惑を最小限にとどめる操作に努力する事になる。
この順序が、逆で、コースで括弧よく、一番で走りたい等々、思う人も居るし、私も昔はこの考えだった。しかし他人は、口と心は逆の場合が多い・・・・之が解れば、考え方も変る。
自分が楽しいと思える、之を追求した方が、楽だし、他人からの影響も減りだす。
全てが、何を選ぶかも、各自の勝手・・・・全て自己責任となる。人の真似をして、車が燃えた、之もまねされた人が責任を負う等々、無い世界だし、逆にその人から馬鹿といわれる世界・・・之が人で有る、之を自覚すれば、どうするか、慎重に考える事になる。
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