昨晩、コースで又色々な質問等を受けた・・・
先ずは、その人の走行スタイル、又目指す目的等々を、確り私が解る、之が全的に成る。
何度が書いているが、本人が勘違いしている人も多い、アクセルを入れて走っていると思っていても現実に車が動き出すポイントは、回した後の、アクセルを緩める方向だったりと、思いは入れて動かしているが、現実の車の挙動は、アクセルを引いて走っていると成っている等々、多々の思い違いをしている人も多い・・・
その為に、質問を受けた時に、何を目指しているのかが大事だし、今の操作の矛盾点を解る、この部分を話すが、理解されない人が多いのがRCドリフトの世界に成る。
車の動きが問題で、その対策を求めれてて入るが、その問題が起きる時の操作は、その人の走行スタイルが解らなければ、答えは180度変る・・・・この分、操作側は入れ側、攻撃側で行っているか、又は、引く側、受身側で、行って、出ている、症状かで答えは自ずと違う・・・
しかし、本人は、その部分を如何操作してるかの認識も無い・・・簡単に書けば、ハンドル操作も角度、その角度に向う、スピード・・・車全体のスピードやその時が加速か減速かで違うし・・・アクセルを入れているから加速とも限らないし、アクセルを緩めたから減速とも限らない・・・・
アクセルもステア操作と同じで、スピードで入れる幅も変わるし、入れるスピードも自ずと変化させる必要が有る。
私の狭い、地域の環境での話に成る・・・・勿論、実車やリアルを求めている人は、有りえない、不思議と思うかもしれないが・・・
ドリフト後、一番速度が落ちた状態からの、加速・・・・どの様なアクセル操作かといえば・・・減速して遅いポイントで、何故かモーターの回転が最高点に達する、勿論、完全に失速する無駄カキを発生しているので減速に加えて一テンポ遅れて、回転の下がりに合わせて、凄い牽引力と、トルクが無い回転慣性の影響で、後伸びの様な加速をする・・・簡単に書けばバネで弾き飛ばされた様な挙動を示す・・・その後、ドリフトポイントに来たら、一気にフロントと止める舵角操作で、フロントを止める為に勝手にリアが出ている様な挙動を示して、考えられない角度の舵角が付いてドリフト開始、この様な人が、私の住む田舎には多い・・・・
不思議だと私は考える・・・・真っ直ぐの加速はグリップ走行が良いと考えているし、若し、若干の滑りを演出するなら・・・スピードに応じて回転が上がり出す、之が実車だし、リアルだと私は考えている。
しかし、回転とスピードの関係性を書くと、本来、ドリフト終了後で、スピードが落ちているポイントでは、回転が低い筈だし、そのポイントから加速して行くなら、ストレートエンドで一番回転が高まる操作をアクセルで表現する、之が大事だと考えるが・・・
現実は、スピードが落ちているポイントで一気に最高回転数に達し、勿論失速出遅れるが、その後はバネで弾かれたように、真っ直ぐのグリップ走行が飛んで行く感じの挙動を示す、見ようではドリフトと言うより、ドラックレーサーに見える・・・
スピードが遅いポイントで何故か異常な暴れを感じるし・・その発進に一番のパワーを使う、之をドリフトと言うか、ドラックレーサーと言うかは各自の考えで変わる部分・・・・
若し、この様な操作が当たり前のコース環境なら、この操作方法に自然に馴染み出す。
又、人の操作の影響を受けやすい人なら、この操作は、自分の車の個性に合わないと思っても、無意識でしてしまう。
益々、自分の車の個性の悪い方向のアピールを無意識にしている事に成る。
今回、この様な事を書く事に成った事に私は、驚いている、先の話と思っていたが・・・・
個性を持つと言う事は、拘りに成る・・・拘る事で一番大事な事は、自信が必要に成る、人の操作に引き吊られる・・・この事は、自信が無い事に成る。
自信は先ず、理論武装が大事に成る・・・車の加速に対して、一番大きく影響する部分は・・・常識的に考えて、理論を組み立てる・・・・
同じタイヤを使用した場合・・・RCカーの場合、直ぐに滑らせるパワーは十分有ると仮定した場合・・・
グリップに近い回転で加速し続ける・・・之が一番加速が良いと言う事は常識だと私は考えている。
次に加速を維持し、その加速度を増す方法は・・・・ドラックマシーンを目指すか、機敏なドリフトカーを目指すかで、車の重量バランス・総重量の考え方も変ってくる。
ドリフトの見せ場は、旋回中と言うイメージが有れば、この部分に長ける車を作る・・・之を前提で、加速が良い車の重さは?????私は軽量な車が長けていると考えている。
十分にタイヤを滑らせるパワーが有る事を前提に、タイヤを固定して、考えたドリフトカーの加速が良い条件は・・・・・確りグリップ走行が出来る、又演出できるトルク特性が大事だし・・・車の軽さが大事になると私は考えている。
之を確り信じ込めば、回りに影響され難い操作が出来る方向に成る。
しかし、問題が、過去に付けた、癖・・・操作の癖が、直ぐに顔を出す・・・長年、又、初期と時から矛盾を感じなく信じていた操作の癖が・・・周りに影響を受けて、直ぐに出る、之が問題と思っている人も居る。
私が何故、周りの車より、劣るタイヤを好むのかが、解ると思う・・・・結局は私も強い操作の癖を付けている・・・・それに打ち勝つ為には、確り信じ込むこと・・・信じ込むためには、劣っている事が必要に成る。
誰しも、タイヤの能力が劣っていて、早い走りは出来ないと思っているし、私もそう考えている・・・この状態で、付いて行ければ、感謝に成るし、自信に成るし、自分の拘りを信じられる方向に成る。
各自、拘りが有る、之が個性だし、之は必然と思うし、之が無ければ、面白みも無くなる。
拘る事は、信じる事に成るが、之が難しいという事に成る。
凄い先人の話が色々有るが・・・・事を成す人は、自ずとこの様な方向性に成る。
後世の世で認められるから、偉人と言われているが、現実には、認められず。又忘れ去れた人も多々居ると思うが、その様な人の努力を、無駄だ馬鹿だとは私は思わない、この様な人も時が違えば若しかすれば、偉人かも知れないと私は考えている。
世の中は偶然の産物の様だが・・・何かの意味が有るし、名も無き偉人達の残した形が今だと私は考えている。
三流の私も、少しは近付きたいと考える。之が人の証明と私は考えている。
人からチヤホヤされ、美味しい物や思いをして・・生きる、之なら、富豪の家に飼われたペットの方が、幸せ感は高いと思う・・・・・
人は、色んな悩み・苦しみが有るから、人として生きれると私は考えている。
人に生まれた事に感謝する・・・この事は、自分の利に成らない、事を悩めるからに成る・・・・
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