最近、日本人の美感の変化に驚いている・・・・・
幼稚なようだが、全てが、対比等々の、優劣・・・・大陸的、美感に近づいている感じがする・・・
質素・・・この意味を日本人なら色んなイメージで感じると思う、しかし、最近は質素=何も無い・貧乏等々の捉え方をする人が多い様だ・・・・
私の仕事柄、比べる之が習慣化している・・・比べて優劣を判断する・・・しかし、そのスペックが本当に必要かどうかは、二の次で・・・・カタログ・スペックが高くて、価格が安い・・・之が、全ての部分で勝つと言う固定観念が、確り、身に付いていいる・・・・
本来、物を求める、この物を手に入れて、使う事が目的・・・・使うのは、自分自身になり、その使うだけの能力が有るか無いかが、一番大事な部分・・・
物と人との勝負が、物を使うということに成る・・・仮に相撲と仮定すれば、購入した物と相撲をとり、勝つ事が出来る、から、物を買っている・・・
又、負けても、勝ちたいと努力する之も含みに成る・・・・
本来、人は色々、その色々な人に対して、バランスする物が有るはず・・・しかし、何故か物に対しては高望みをしてしまう・・・この高望みが、結果、使いきれない、其れがクレームと成って発生する・・・
物に振り回されている、状態が現代に成る・・・・
食べ物も、腹八分目と言われる・・・・物は、少し足らない位が丁度良いと意味にも繋がっている・・・
しかし、何故か最近は、100%・・イヤ120%等を求める、之が普通に成ってきている・・・・
この方向性が、分を超える物を、得たが、使えずクレームが発生する・・・・
又、商品の危険性にも無頓着・・・・この様な使い方をすれば、危険、この危険に対しての考えも、安全を提供する之が普通で、危険な物が有る訳が無い、この考えで、物事が進んでいる・・・
何故、質素なのかその意味も変わって来ることに成る・・・・
分を超える物を得て、使えなかったらクレーム・・・使い方が悪くて、危険が発生すれば、この商品が悪い・・・・
この方向に進めば、人はお金さえ有れば、何も学ばなくても良い、この方向に成って行く・・・・
沢山の高スペックな物に埋もれている、之が、幸せを形に表現と思う人まで出て来る・・・・・
この方向性が本当に良いかも、各自が考える事に成るが、日本国の教育が少し、違ってきている感じがする・・・・
私の感覚では、人を馬鹿に又無知な方向に向ける、教育・社会構造に成ってきている感じさえする・・・・・
村内の、お手伝い等々していると、昔だと誰しもが当然と思うことさえ、最近は面倒くさい、この流れが強い・・・・
意味が無いと思うから、見えない、見様ともしない、方向に向っている・・・・
何故、意味が無いと考えるのか、形等々が無い為、形が無い、又結果、評価が無い事に対して、意味を見つける事が出来ない人が増えている・・・・
この様な価値観なら、日本古来の、質素の美徳等々の、美感も無く成っていると思う・・・・
益々、無に対して???????状態、無が何かと言う感じ・・・・人の心等々は見えない、この見えないものに対しては、全くの鈍感な人が増えることに成る・・・
心無き世界を、人々は求めているのか???しかし、幸せという部分は心が感じることで得るが・・・・この部分も他人の評価での判断に成る方向のようだ・・・・
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