最近、少し解ってきた部分が、ゴリゴリ感が、アクセル操作以外にも有る事・・・・
昔は、RCドリフトは滑らせる競技、スムーズにスーと進む物と勝手に勘違いをして、ホバークラフト的、挙動を無意識に求めていた・・・・・
之で、スムーズさを出す方法は、トラクションを0に出来る、回転とパワーと思ってしまうのは仕方が無いが、多大な飛距離を求めた場合、トルクションを0に瞬時に長時間出来る之が最小限必要と思っていた時代も有る・・・・
しかし、「田舎の山猿」と言われる方向に成る、ブラシ23Tが普通だった、時代にブラシレス4.5T・・・車自体の特性がまるで違う・・・言われるのも当然・・・・
しかし、この指摘が、私を変化させた・・・・其れまでは、ドリフト中はトラクションを抜く、この事は、進入スピードが大事だし、その後は、空を飛ぶように、慣性力を利用する、この慣性を多大に利用する為に、トラクションを0にする為に、多大に回す・・結果ドリフト中は、どんどん速度が落ち出す・・・又、止め側の操作で初めてトラクションを意識し出す・・・低速部分に成る・・・
簡単に書けば、初速を求め、タイヤの引っ掛かり等々の接地面加重を意識した車作り、ドリフト中は、トラクションを抜く為に、多大なパワー・・・・・後半の、止め部分や低速部分で、初めてトラクションを意識・・・・
こんな、意識、操作を私の場合、癖として付けてしまった・・・・
回転系・駆動系でのトラクションを意識すると、最終的に、ゴリゴリ感が大事だと解ってくる・・・このゴリゴリ感が、今度は足回りの踏ん張り感を、感じれるように成る・・・・
結果として、足回りの考え方も変わって来る・・・・
今、ステア操作のゴリゴリ感が、少し、解り掛けてきた・・・・ステア操作の抵抗を、アクセル操作と同じ様に感じれる方向に成って来た・・・・
以前、重ステの感覚と、ブログにも掲載したが・・・・・この重さをステア操作で感じる・・・外部操作のRCの為に、現実にステアが重くは成らないが・・・感性で感じれる方向に、少しは近づいて来た・・・・
ヤット、RCドリフターが言われている、実車感の入り口、付近に成れたと、考えている・・・・
アクセル操作では、入れ過ぎた・抜き過ぎた・・・この操作の多大さの、大きさも、年々小さくなって来た・・・昔だと感じれなかった、小さな回転差でさえ、操作の大袈裟さを後悔できる走行が続けている・・・・
この状態に、今度は、ステア操作が成るのを、私は求めている・・・・
フロントのゴリゴリ感、之が有ればフロントの踏ん張り感の変化も操作の範疇に成る・・・・
この操作の範疇に成れば、足回りの作り方考え方も変わり出す・・・・
車と言うものは、四つのタイヤのこの接地感等々が、有って、初めて操作が出来る、操作が出来る事で、好みが出て来る・・・
この操作が出来ていないから、車を触る方向に成るし、少しの変化でも多大な変化を感じ出す・・・・・
簡単な理屈になる・・・・四つのタイヤを確りコントロール出来ていれば、如何にでも成ると言う事・・・・出来るから好みが解り出す・・・・
若し、この部分を見失い、走らない・走らせたいとの意識になれば、好み等々でなく、走る為の策や方法が大事に成り出す・・之が本来、人は個性が有る筈なのに、シャーシに個性が見えない方向を作り出し、回りが同じなら、今度は正しい、常識と思ってしまう方向に向う・・この部分を私は怖いと言い続けている・・・・
仮に同じ目的、RCドリフターの表現を私は目標にしている、目的が同じでも、人の数、色々な考え方が出て来る・・・・之が個性に成る・・・・この部分まで、この方法が正しいと限定する考えは怖い・・・・
それ程、RCカーの外部操作と言う・・・宿命が策は方法、其れも走りたいという、形に進みすぎれば、楽に簡単に、之を求め出す事も当然となる・・・・・この当然の宿命に、男気を出して挑戦し続ける、之がRCドリフターと私は考えているし、エキスパートは、この部分を掴んで有ると信じている・・・
私は下手で無知だから、この部分を探し続けている事になる・・・
しかし、RCドリフターが言われている、又、表現されている、事が出来る人とは有った事も無いし、若しかすると「能ある鷹は爪を隠す」の諺で、実力を見せない人も居るかもしれない・・
唯、表現が有る事は、誰しもが目的・目標にしている事だと私は考えている・・・・確りした、目的が有れば、出来る人は必ず居ると信じている・・・・
このっ表現に対しても、単なる目を引く為の題目と言う人も居るし,この様な人が多いが、目を引く事は、誰しもが興味が有ることにも繋がる・・・・・
出来る・出来ないは別にして、挑戦を続ける意味が有ると私は考えている・・・
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