今日、名簿を作成中に・・・・・子供の続柄で・・・長男・次男・三男と書いていたら・・・・
嫁より注意を貰った・・・・
次男は、二男と書くこと言われた・・・・・「になん」????「じなん」漢変を行ったら、二男と次男が変換で出て来る・・・・
私の感覚だと、次男が、合う・・・・・
しかし、二男が現在での使い方らしい・・・・・
家督制度からの流れか、家督を継ぐ順序と私は考え、次男を使っていたが・・・・
今の法的な解釈には合わないために、二男に成っている様だ・・・・
若し之が、通用するなら・・・・長男も、一男となっても、おかしくは無い時代のようになる・・・・
最後には、実子・男・1、等々の表現に成る可能性もあるし、親権有り・実子、等々が前に着く可能性が出て来る・・・・
客観的、表現方法も変る可能性が出て来る・・・・
違いや、分という事も私は大事だと考えている・・・・差別と違うと思うが・・・・何故か差別に繋がると思われているのが不思議である・・・・
世の中は、金太郎飴状態の人ばかりでない・・・・・人各々、個性が有る・・・・この個性を好きか・嫌いかは、各自の好みであるし、その個性の違いを、教育の場で、知る事が大事だと私は考えている・・・・
平等という前提には、金太郎飴状態の人々が必要に成るが、現実はそうでは無い・・・・
その違いを認め、相手を知る事が、大事だと思うが、違いの有る人を排除したり、見せない方向の方へ進めている感じを私はします。
同じ個性の人を探す事が難しい・・・・之が基準だし、各々違いが必ず存在する・・・・その為に、好みも千差万別の筈・・・・
結局は、違いを認めない、之が平等への基準と考えるか、違いを確り、認識してから、どう接して行くかを考える、之を平等と考えるかの違いになる・・・・
日本人の考えも、西欧化しているし、一神教的、一人を中心に纏る世界を求めている感じがする・・・絶対的存在が有るという、妄想を抱いている感じさえする・・・この集団から、離れたら差別を受けると、必死にしがみ付いている・・・・この心が差別だと私は考えている
差別を感じるのも差別をされている側に成る・・・・この集団と違う価値感なら当然と言うべき・・・私は当然と思うし、誇りだと考えるが・・・・・・人により考え方が違うように、差別されたと感じる人も居る・・・・
結局、人の違いを認めるのか、認めないかに成る・・・・認めない人が、結局は差別意識を持っているようだ・・・・・
人は完璧でない・・・・叩けば誇りも出る・・・・・・之が当然だし、之を認め切れるかに成ると思う・・・・・
人は結局、思いの強さで、他人も動き出す・・・・・同じ表現でも心の思い違うし、感じ方も違う・・・その違いが行動にも繋がる・・・・・
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