2015年6月20日土曜日

YouTube・・・・

昨晩・・・・YouTubeを・・・・観賞・・・・

色んな、動画が有るし・・・面白い・・・・・私はRCドリフト・・・に・・役立つ、又勉強させられる方向性で動画を観賞している・・・・

走るジャンルは、基本的に一緒と思っている・・・操作側が主体・・・・車からそのオーラが出ている動画を見たいと思うし、自然にその動画に成る・・・

私の価値観に成る部分・・・・・・・・・・結局・優先順位・・・先ず操作感・・之を最優先に私は置いている・・・等速四駆の時は、形を追いかけていた・・・ケツカキに成って、この操作感に気付いた・・・
ケツカキで、操作感のUPを目標にしたが、如何しても、車が勝手に走っている部分の減少にも限界を感じていた・・・・この後の2駆・・・・操作感・常時コントロールこの部分を、追及している・・マダマダ空走部分・・結局流されている部分が有るが、其れの減少を目指している・・

そのヒントに、動画を今は、利用している・・・・・RCの場合、コースも現実には誰かの好みにレンアウトに成っている・・・その中で、又好み等々で、之が正しいライン等々が出て来る・・勿論、勝敗等々を意識すれば、審査員が求めるラインが正しいに成る・・・結局その価値観で無いと勝たない方向に動き出す・・・・RCはシャーシ側、実車以上に変更が出来る、シャーシが簡単に勝手にこの形で走っている方向の車が増える・・・勿論、この価値観なら正しい・・・・

昔、練習コースが併設されている、場合、そこに、パイロンを並べて小さな走行が出来る・楽しめるレンアウトを作って走るが、なぜか、本コースを走って有る人は殆ど興味を示さないし、一緒に走ろうと考えられない人が多い・・・・俊敏に小さく変化させて走る・・勿論ドリフトと私は考えるが、之が出来たからといって意味を持たないと思って有る人が多い・・・・之が実情・・・

誰かの好みへ誘導を続けている感じがする・・・同じ方向性なら、経験が多い方が基本、勝つ・・・・後から参入しても、経験値で負けている・・・誘導側は、自分の変化に合わせて、誘導できる・・・常時、優位の立場に居ることが可能になる・・・・実車のレースもこの部分が言える・・後から参入が非常に不利に成るし、レギュレーションの変更も、喧々諤々に自分たちに優位に成るように揉めている・・・運営側に賄賂が渡ったり、熾烈な、争いが、レース前起きているし、現実では、この部分で勝者が解る、現状までなっている・・・・之がレースを面白くしていないという意見も有るし、参加、台数が減っている方向にも繋がる・・・・
結局、人が運営する競技・・・矛盾が孕んでいるが・・・この形でのという限定がないと、色んな事が起きだす・・・

RCドリフトも、同じだと思っている、本来は各自違うはず、しかし、一つの方向性に向けて行く・・・
その方向に、長ける車を作っていく事に成る・・・・結果、何かを犠牲にする・・・之が私は競技だと考えている、単純にそのレギュレーションで勝つ為の特殊な車と私は考える・・・凄い車だが正しい車でも無い・・・結果・・・・先に書いた、本来は各自違う・・この部分を忘れている・・・
結局、初心の思いが強くなれば、自分が特殊と考え、このジャンルから消える方向に成る

このジャンルから去っていった人が、沢山要る・・・このシステムの中にドップリ使っている人は、簡単に負け組みと片付ける・・・私はしかし、と何時も考える、
その人達との思いに耳を傾ける、之も大事と考えています。

リアルや・実車等々の言葉がRCドリフトの世界、昔はモット氾濫していた・・・・之を求めれば、現実に、小さな動き・機敏な動きを要求されるが、この形式のイベントをしても沢山、参加者が来ると思うが、現実は誰も来ないと思う・・・・・何故かは書かないが・・・結局、同じ方向に車の特性が集中している事に成る・・・之が事実なら、その先導を切っている人が車の戦闘力では一番長けている事に成る・・・勿論、限定した形の中で・・・・若し、之が全てのドリフトで正しいと成ると、それ以外の価値観は、参加出来ない形に成る・・・・

一度、この部分を、イベント主催者側に話した事が有るが、結局、主催者側も、ユーザーの要望が強い方を選ぶと成る・・・・ユーザーを誘導している可能性の部分は考えていない・・・・
必ず、この大会のレギュレーションでの勝敗、之が正しい等考えてもいないと言われるし、その後そのユーザーがどの様な振舞いをするかまで、責任は負えないと成る・・・
当然の返答・・・・最終的にはユーザーの価値観・考えに成るとなる・・・・・日本国でモータースポーツが発展しない理由が此処に有る・・・・一瞬の盛り上がりで、後は消滅・・・・

結局、一つの価値観への誘導が有る・・・之は世界でも同じ・・・その中で各自の個性を磨く、之が世界の考え、之では勝てないという車でも参加している、勿論、勝つ事は考えていない・・・
個人の価値観・考えのアピールの場と考えている・・・その為にどれが正しいという考えも無い・・・
そのレースの中で、又各々の価値観で、参加している・・・・観衆も色んな価値観の人が集まる・・・・・
日本の場合は、基本勝つ・・・ここに集中している・・・・走りを見せる事が出来る、周回を重ねるレースでも・・・・・・・・・・・観衆も勝つ車を求めている・・・結果、縮小方向に向う

ドリフトの難しいのは、競技では一周も周回しない、其れも一対一・・・・結果、個性を見せるという部分より、勝つ之に集中する・・・・この特徴を、確り主催者側が配慮できるかになる・・・
お金を架けていない、結果戦闘力が無い、之で走る凄さ等々、加味が無ければ・・・必然的にお金を架けていくし、シャーシを見れば札束が乗っている感じの車が凄いとなるし、正しいと成る・・・・

レースには、本来色々有る・・・・・一極に尖った、レースが最高峰と言われるだけ・・・正しいとは成らない・・・・草レースも有る・・・・・古い車でパレード的、レースも有る・・・

モータースポーツの熟成は、車文化の熟成が基本・・・未だに勝つ・高性能が全て正しいという意識が強い、人が多いことに成る、車、文化が育っていない事に成る・・・・

昔、AE86が脚光を浴びた事が有る、世は、バルブ時代・・・・高性能の車が国内で、続々発売される・・・又、海外のスーパーカーと言われる車が、日本国にゾロゾロ、有った時代に、全てに劣っていると思われる車が・・・・・本来、日本国には、武士道精神等々が有る、小が大を負かす・・・之が柔道の哲学にあり、相撲の世界でも有る・・・・無い事への美学が有る・・・バルブの時期に日本の美学が又出た事に成る・・・・
しかし、結局、力・大が勝つとバルブ後成っている・・・・・・

私は、劣っている車で走る、之は美学だと考えている・・・・実車だと、現実的なお金が無い、その負け惜しみとも思われるが、RC・・・・・高性能に対しての対価は少ない・・・・
その人の、本心が率直に、車に表れる・・・・この部分が面白い・・・・

一度、異端児に成れば、人目が気に成らない・・・結果、シャーシ等々、人目を気にして選ぶ事も無い・・・自分自身の個性で探せる・・・・何をしても、結局、いい評価は無い・・・自分自身の本心の部分を拘れる・・・・・考え様では、楽だし、自分らしい走りを目指す事が出来る・・・・

車の本質・・・操作・常時コントロールこの部分を目指す事が出来る・・・見せる・形・等々は後回しに出来る、非常に楽だし、操作する面白みの追及、飽きが来ない・・・







0 件のコメント: