2025年7月3日木曜日

何が大事なのか?????

 先が読めない、混沌な世界に向っている感じがする。世界では上手を取ることが一番大事でそれ以外の方法は無い、その為に、強い力が要るという方向の考え、私は劣っているし、三流で嫌われ者だから感じるのが、この様な価値観の優秀や一流の人は、何故か私の目線に合わせず上辺から見下ろすような姿勢をされる人が多い気がする。本来、力が有れば、相手に合わせる事が出来ると思うが、力を自慢する方向に成っている。この環境が一般化すれば、当然の様に己を良く見せようと、実力も無いのに、一流や優秀を装う人達が増えるのは当然と成る。少しでも劣っていて、変わり者と思われれば損という価値観が有るために、誰しもが粉飾する方向に成る。仮に、粉飾して、己は菩薩だと見せかけているが、本性は、我欲の為に生きる、三悪道だったら命と振舞のバランスが悪く、最終的には、精神疾患、昔はキチガイと言われる人達を輩出する事に成る。私が思う、人の普通は、間違いも失敗も起す、グレー的存在と何度も書いている。要は、一日一日が学びだし、謙虚に振舞えという事だと思う。俺は強い・一流・優秀だからと言うスタンスを取ると最終的には、良い事は無いと私は考えている。現代は、間違いも心配も出来ない、劣っていて三流なら誰も見向きもしない世界なら、無意識に、粉飾するし、同調圧力でその方向に従う、様は先導や誘導に従いやすい人達を輩出し続けていることになる。以前書いているが先の大戦で大勝利したのは、私は日本国だと思う、大義の欧米列強からの東アジアの開放これを起したし、その後、世界に波及してアフリカ等にも浸透していった。その為に多くの人が亡くなっている。特に民間人、しかし、其れを受け止めれるのも、無くなった人が何かの役に立ったという覆いがあるからだと思う。これが無ければ不満しか残らない・・・・・・今、世界は、前回の大戦前のように力と力との競い合い、此を日本国も見て、力なら力と考えたが、力も色々有る。此を戦後考えて、世界の価値観の本質、見掛けで無い部分を探求して、二十世紀までは経済力に注視し、二十一世紀は、人の本質は、お金本位主義と言う事で、お金を多く持ち方向と、後一つはお金を使わないで良い生き方の模索だと、今は成っていると思う。しかし、現代教育の価値観は、優秀な消費者を幸せの定義にしている。消費するためには、当然稼ぎが高い事が求められる、結果、競争が始まり、何の為の競争なのかをよくよく考えると、優秀な消費者としてお金を使って貰いたいという事以外無いと私は思って居る。この様に生きる、当然、自己中で、利己主義の方向、後継者の育成等々行おうとしないし、此を大なうことが現代は危険を孕んでいるハラスメント等が問われる時代、思い込みが強いとツイツイ言動が人に厳しくなるが愛がある。此も、思い込みが強ければ、己に厳しく、他人には優しく寛容で有る方になるべきだと思うが、この様な教育はされていない。思うような世界環境にするためには力が必要というのが、現代は其れが普通になっている。力が無くても、生きて行けるこの模索も大事だと思う。安穏で平安な生き方が人として最高の幸せだと思う。当然「生老病死」も含みで、威張ることも要らない、肩に力を入れる必要も無い、気軽で生きれる世界、此を私は願い、祈っている。

何世紀も変化が無い、価値観、力と言うより、武力が全てを支配する。人は、家畜なのか????鞭で調教され続けていることに気付いていない。民度が高まれば、今話題のがバンスの圧力、弾圧も減る方向に成る。しかし、民度が各自勝手に動き回るなら、多くの鞭が必用に成る。

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