2020年10月14日水曜日

ご苦労さま・・・

 友の父の本葬に参列してきた。


全てにご苦労さまと成る。


私は、母から、恩に対して、倍返しと教わっている。


特に葬儀等は・・・この部分が無ければ・・・続かない行事と成る。

母の葬儀に、当然、友人達も参列された・・・この恩に答えるのは、母でなく私に成る。

要は、母も堂々と、友の誠意を受ける事が出来ると成る。

若し、この部分が無ければ、友に迷惑を与えているとも思える事に成る。

母は友の葬儀には参列できない・・・・母の名代としての存在が居る事が、大事だと言う事に成る。


昔の言葉で、向こう香典等々が有る。与えるだけで、返しが無い香典をこの様に言う・・・

銭金で無い・・・思いを伝える人が居ると言う事に成る。

簡単に書けば、電話をかけ、相手がコンピューターなら、言葉等には、間違いは無いが、何か大事な部分が感じられない、これと同じ事だと私は考えている。

勿論、恩を感じるか????・・・この部分も大事に成る。

要は、感謝の思いが有るか、無いかに成る。

しかし、その感謝も、言葉で感謝して居ます。その後は忘れると言う感謝でない。

感謝の思いを表したら、終りと言う考えも、最近は増えている。

勿論、この感謝への、対価を求めて、振舞うと言うのも、私は好きでない。

その様な事が、母の「恩に対しての倍返し」と言う事だと思う。

近所の老婆を看取ったが、結果として、経済的・物質的には、多くの負が有った・・・私の生活まで、変化させる方向に成ったが・・・・当然、対価も無いし、仮に有るとするなら、残った、困ったチャン二人を、どう処理するかに成る。

恩を与えたとも思っていないし、その恩に答えてくれるとも思っていない。

この様な部分が、私は、義務や責任と考えている。

見返りが無い、若し有るなら、負が有るだけ・・だから義務や責任と言うと思うし、この部分が強くなるのが、レベルお高い人達に成る理由とも思っている。

要は、銭に成らないが、それが多々できる人達が、一流や優秀な人だと私は考えている。

要は、損を覚悟して出来る人達と言う事に成る。

又、葬儀で感じるのが「生老病死」と言う、生物に当然、起きる部分を、日頃、考えないようにしている事・・・・当たり前すぎて、確り研鑽しているなら、良いが・・・その様な事も無い、要は、「生老病死」を考えないで生きる、之を求めている様に見える事・・・

若し、起きれば、運が悪い・・それから逃げる方向の模索しかしない事に私は不思議な生物だと人間を思う。

人として生まれる、当然、死ぬことは誰しも知っているが・・・死とは???と問うと一気に雲行きが曇り出す。

仮に、生まれる事は、良い事・・・死ぬことは悪い事・・・本当にそうだろうか????

死は、必然である・・・悪いも良いも無いと私は考えている。

病も同じ、悪いも良いも無いと考えている。

老いる事も、同じで、悪い事でも良い事でも無い・・・人の姿で有る・・・

私は、葬儀を、恩を受けた人達に対しての、この世から去ると言う、宣言の場だと考えている。

誰しも起きうる、死に対しての一つの報告会だと考えている。

又、恩を受けた感謝の表現の場とも捉えている。

当然、個性が有るし・・・学べる場とも成る。

私は、この様な場の提供を受けられる、現代は、幸せだとも考えている。

今後、私も死を迎える、この様な場を提供できるかが、私の生き方にも成る。

当然、私はその場に居ない・・後継者がどうするかに成るが・・・この部分も私に責任が有ると言う事に成る。





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