緊急の宿題を一つ、終わった。
五男のバイクに成る。
多々の宿題が有るが・・・力が無い為に、中々、終わらせる事が出来ないでいる。
この様な事を、義務や責任と捉えると、私の場合、気が重くなる。その為に、使命だと捉える方向にしている。
使命も結論を言えば、己の力の度合いで・・重さが変わる。
その為にも、己の力を早めに悟、必要が有ると言う事にも成る・・・・若し、この部分を考えず、事を背負い込むと、身を亡ぼす危険性が出て来る。
しかし、このギリギリの部分で、何故か人は成長をする。安全地帯に居れば、人の成長は難しいと私は考えている。
私は、動物的本能が強い、その為に三流の人間だと自称している。之が意味する事は、先に書いている部分を怖いと思うし、出来るだけ楽で・安全な場所を求めるし、又 願っていたりする。
よく、祈る・願うと言う、事柄が有るが、人には言えないが、この様な部分しか頭に浮かばない三流の人間と言う事に成るし・・・若し、祈り願う対象物が、本当に力が有る存在なら、私は、動物的、本能の部分の楽を求めているので、叶えて下さいと言っている事に成るし・・・力が有る対象物からは、人間以下かと蔑視されている可能性が高いと思う。又、何を与えてくれるか???・・・・当然、解らせる為に、苦しみを与えると私は、思う。
要は、自立した人間・独立した人間・・之を先ずは、創る事に成る。勿論、心・命のレベルでの話になる。
しかし、人間も動物である。動物的本能部分を刺激すれば、直ぐに良し・悪しの答えを本能で求める。
又、集団を組む、動物でも有る・・・・同類で集団を形成する、習性が有る。
価値観の範囲が、集団と言う範囲に成り易い・・・当然、異端に成らない事を無意識に求める。理由は、孤立化したくないからに成る。考え様では、一個の独立した人間を求めていない事に成る。
之が、何をもたらすか、集団内のドングリの背比べが始まる。当然、吐出した場合は、排除に成るので、この部分もギリギリの些細な部分での、競争が始まる。
私は、変り者と言う事で、色んな集団を、外から見て来た・・・・その都度、思うのが、何故、本音を隠し、ストレスを溜め続けているのか????
要は、本心でない行動振舞いをしていると言う事に成る。
人間、生きて行く為には、色んな集団に属する事に成る。しかし、集団の意義・目的を確り決めて、属していると思うが、それ以外での部分が、何故か多い・・・
又、人の評価等も、最終的に、否定方向に集団の場合成る・・・人は欠点も有る。しかし、長けている部分が、その集団の中で、意味を持っているなら、欠点部分は別だと私は考えている。
全てに長け、利点しかないと言う人は、居ないと思う・・・日本国の神さえ、間違いも起こすし、我儘も起こす・・・逆に考えれば、人間らしいと思える、神に成る。
私は、何時も、その様な事が、耳に入る立場・・・結果的に人は、ロボット的な完璧な人間を他に求めていると私は、感じる。
誰に取って????当然、己・自分に取って、完璧な他人を求めている事に成る・その求めている人間は????・・・完璧で無いと言う事に、私は疑問を持つ。
人には、欠点も有るし、間違いも失敗も起こす・・・当然、己で処理できない人も、多々いる。居るから、欠点・間違い・失敗も、繰り返す。
之が意味する事は、誰かが、処理する事に成る。
之を私は使命だと考えている。
当然、先に書いている様に、私は三流なので、直ぐに何故と疑問が湧く、何故、私が責任を背負う事に成るのか???等々が疑問に成る。
要は、私の周りに求めている事は、完璧な他人だけで形成されている、社会と言う事に成るし、それが可能なのか???・・・このレベルまでは考えきれない四流の人間よりは、少しは意識が有るので、三流と思っているが、行動できるか????・・・ここに勇気を伴うので、二流・一流には程遠いと考えている。
私は、担ぎ手と言われる、人が多い社会が、理想と思っている。
目立たない存在だが、今の社会には必要に成る。この部分に率先して、使命と駆け参じる人が多い世界・・・当然、陰で評価されにくいだが・・・この様な部分は、教育でしか排出できない。
強く、書けば、捨て駒に成る、哲学・価値観と成る。
仮に天国と地獄が有るなら、地獄を恐れず・・・その方向に先ずは、己の背を向けて、進まない様に全力で押し続ける、当然、押す物は社会に成る。
現代は、この部分は敗者のポジションだと思っているし、その様な人がこの立場に成れば、当然、目の前の人を蹴落としても落ちないように狂った様に振舞うと思う。
同じ、場所だが、覚悟が有り、使命感がある人なら、対応が変わる。
生物は、必ず、死が待っている。何を命・心に持って行けるか????私は、誉だと思おう。
若し、この部分が、解らない・気付かないなら、死は怖いものと言う捉え方に成ると考えている。
己自身が誉と感じ取れる、行動を続けないと、何時、死の時が来るかは誰も解らない。
食べる為に必死・それは生きる為に必死と言う事・・しかし、必ず、死が待っている。
私は、人・他人を生かす為に、必死が、生物の生き方だと考えている。当然、人を創る・後継者を育てる等々も、繋がる。
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