2017年12月10日日曜日

私は、やはり弱い・・・・

RCドリフターは、男気で強い人が多い世界の様に見える・・・・勿論、言葉や文字からの判断に成るが・・・

私は、弱いと何時も思っているし・・・劣っている為に、挑戦も続けている。

しかし、劣っているからだと思うが、長けている部分に頼る癖が有る。

RCプロポの操作で、ステアは、私の場合、利き腕の右手で行なう・・・・その為に、どうしても、長けている方の、右手に頼る操作をしてしまう・・・この事は、ステアに頼った操作で、アクセルでコントロールする等の意味とは程遠い・・・・

この頼ると言う事は、長けている部分が有るからだと私は考えているから・・・・シャーシのステアリングサーボセイバーを緩々にして・・・ステアに頼り難い方向に、したが・・・それでも無意識にステアに頼る、操作をしている事が、今回の走行で、解った。

情けない状態と言える・・・精神力でステアに頼らない、之が出来ず・・・シャーシで頼れない方向にしても、それでも、頼る・・・・・・甘えが抜けない、子供の様な状態と言える・

之を情けないと感じるし、人が見ていれば、恥かしい、穴が有れば入りたいと思える部分に成るが、私は下手だし、又、練習中の身と公言しているので、それでも続けられている。

昨晩の走行で、先のブログにも書いたが・・・加重が乗らないと感じた時に、待てない自分がいる事が解った・・・待てば必然的に加重が乗るのだか、其れが待てず、ステアを引掛けて、無理やり、減速方向に持って行く操作・・・之が結果として、決まれば、良いが・・・決まらなければ、一気の破綻、之は実車の挙動と一緒・・・・

結局は、ステアに頼った走行スタイルと言う事になる。
ケツカキ、ワンウェイ搭載車の場合、フロントにはブレーキ的要素は、ユニバの重さくらいに成る・・・しかし、舵角表現を大きくすれば、勿論、フロントが一気に止まる方向に成るのは実車でも同じ、この部分を無意識に使うのが、RC独特の操作だし・・・無意識に避けるのが、実車の車の操作になる。

よく、実車ポイや、実車感等々を、RCドリフトの世界では言われる・・・各自見ているポイントは違うと思うが、私の場合、最初に舵角表現を重視してみている・・・数度の動きは目視出来難いが、車の挙動を見ていると解り出す。

結局は、目視で解る、舵角表現の意外感は、論外と言う事に、今は成っている。

しかし、待つ、之が難しい・・・・コース上を一人で淡々と走行していると待つリズムも解り出すが、他のお客さんが走り出すと・・・急にリズムが解らなくなって、操作がバタバタし出すし、確り引掛け操作を始めてしまうが、今の右手の怪我では、その対応も出来ずに、諦めて、リズムを取り戻す方向に、戻そうとする、意識が出る、この部分が、怪我の光明で判った部分に成る。

結局は、微細な速度変化でも荷重の変化を起している、之を見る目を持っているかに成る・・・

自分の感覚で、減速方向の加重の乗りが、スピードの減速度で、捉えていた事に成る・・・減速度が足らないと感じたら舵角を深くしている・・・此処に好みが有ると言うことに成る・・・・

現速度が遅くても、確り加重は移動している、量が少ないが、少ない状態でも車を動かせる、技量が、少し、今回の怪我で身に付いた事になる・・・・

良い例が、グリップ走行で、タイトなR部では、以前は煽り操作と、舵角の深さで、ギクシャクした旋回をしていたが・・・今回は浅い舵角でスムーズにリアーが出続ける動き、実車に近付いた動きに成って来た。

一つは、シャーシ重量が減った、又リアの軸加重が減った事が、要インしていると思うが、一番は、右手の怪我だと思う・・・

右手が劣る為に、左手のアクセル操作が今まで以上にスムーズで微細に出来る方向になったと言う事になる。

グリップ走行は、誤魔化しが出来難い、自分がイメージする舵角で、どの程度のRが旋回出来るか・・・勿論、スムーズに奇麗にが、目標に成る。

このイメージが、RCカーなのか、実車なのかが各自の目標に成る。

実車のレース等を見ていて、視聴者として・・・車の舵角表現で、アンダーに感じたりする・・・この部分を大事に、RCカーに取り入れる、之が実車感だと私は考えている。
勿論、ドリフトに無知の為に・・・私の知る方向のグリップ走行この部分が大事に成る。

知っているから、今度は矛盾点がよく解る・・・・解れば改善したいと思うのが、普通だと私は考えている。

しかし、そのネックが、RC独特の操作の癖、之が大きく私の場合、阻む方向に成る。


長年、この方向性を模索し、挑戦続けているが・・・難しい、しかし、難しいから面白くないか???逆に面白い・・・・以前の私のRC独特の操作の癖なら、絶対に走らせる事が出来ないと解っているから、成長が確りと、認識できる。

RCドリフトは、ハッキリした趣旨が無い・・・・・しかし、ユーザーの言葉を信じたらこの方向になった・・・・

勿論、固定化した趣旨の中で、競う、之も競技の世界有ると思うし、その世界で長ける操作が有ると思う・・・・其れも一つの操作方法に成る。

先ずは、人が決めた趣旨より・・・自分が決めた趣旨を求めたい・・・・その方が長く続けられると私は考えている。





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