入院も含め・・高齢者との縁で不思議と思うし、何故と思うことが多いし、その様な方向に成られる人が多いことに驚く・・・題名に主は力と書いているが、若く時、我武者羅に生きていた時がある。キツイ・痛い・苦しい等々の負や損を顧みず人の親として子育てし社会人としては責務を背負い、必死に前へ前へを行っていたいた程、老いや病うと何故か、背負うものが無くなる人が多い、生きた責務は果たしたかも知れないが、己以外の為と生きて居た頃は不可能と思う事も叶えて来ているのに、何故 身軽なはずの立場に成って、気が重く、動けなく成るのか?????
今入院中の私・・同じ病人・患者さんが多いが、此方が己の人生の総仕上げの時、背負う責務も無くなり、身軽なはずなので、元気コスプレをしても良いと思うがその様な人は居ない・・・・重荷を背負って前へ前への思いで、逆境で有っても進もうとするパワー・・・還暦前後の人の体験話しを聴くと、必死に子育てした、その苦労話を幸せの様相で話される人の多さ、人を背負う大事さと幸せ感を感じ取ることに私は成る。
老いている人・病人の人・・・身軽だから悩みが深まる。機能的に低下・五体不満足になる。この状態で、一般的に言われる唯物的、幸せは得れない・・・若いときも唯物的、幸せを追ったが子育て、社会貢献等で得る事はなかったが唯心部分の幸福感は得ることが出来ている。要は、此を行えば良いこと、ブレない、俺はこの生き方しか出来ないと、前へ前へと前進し続ける。その為に、何かを背負う、この責務が、生きる目的、使命となっていくと私は考えている。
サー・・・此から、今日二度目の樹種連に!!!!
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