2024年12月18日水曜日

新たな環境にも慣れてきた。

 昼食を頂きながら、回りを観察・・・・私以外の同室者には食事が運ばれない、私一人が食事を頂いている状態・・・・よく観察すると、点滴、流動食で栄養の摂取に成っている。私が記憶が無い時と同じ様な状態、私の場合、暴力的な言動を行っていたとのこと・・・体に繋がっている管等を勝手に抜き去っていたと、医大の看護士から聞いているが、人は理性が無くなると、本性の部分、私は鬼畜と思っているがその振舞を行ってしまうし、何の躊躇も無いと言う事・・・・

よくよく、目線を下げ近くで接し、何を????求めてあるのか???等々を考えると、大声で叫んで「カーちゃん~~~・・・・助けて~~~」を一分ごとに繰り返され、雑音になるので、聞かない方向に努力していたが、何を要望して叫んで有るかカーちゃんと助けての間の部分の言葉を耳を立てて聞く努力をしたら「寒し、死ぬ」と言っておられる。私も寒く、看護士に伝えようと思ったが、昨日も朝一に喚起のために窓を少し開けられる・・・・窓側のベットの患者は寒風にさらされることになる。この事を理解・覚えていられない症状のようだ!!!

自分の目線・価値観で普通を決めている、だから本来、普通は無限に有るし、人の数、有ると私は思って居る。しかし、この普通や一般的という単語を使って己の普通に誘導・扇動する人が多い、又この様なタイプ、善人面をするし、賢く・平等主義者・人権重視を言葉の隅々に入れる傾向が有る。平等・人権の重視と言うことは個々の個人の個性・価値観を容認し、受入れるという意味に成ると思うが、何故か、この道が正しい・厳格にこの方向が正しいと決めつける人が多いと思う。色んな生き方が有るし、それに従い、色んな環境がある。各々生き方も色々有る。それを力で強制しようとしても意味が無いと思う。共に過し続けて、新たな価値観等を吸収していく事が大事だと思う。

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