2024年12月10日火曜日

火曜日の日程を淡々と進めるだけになる。

今日は透析日の火曜日・・忙しいがスムーズに進むようになり気が楽に成っている。時間が読めない状態で待たされると些細な時間でもイライラしだす。勿論、私固有の特性だと思うし、お世話に成っている医療機関には己の気持ちを言うことがはばかれているのかも、嫌われ阻害された己の損という捉え方の人も居る・・・嫌われたくないから囈語して取り入る見せ掛けの言葉だが同じ価値観の人には耳障りがよい・・・「実るほど頭を垂れる稲穂かな」色んな価値観・分野の単一した世界で実力を付けたら、当然、頭を下げ、目線も低く対応するのが、実力有る人だと私は思って居る。しかし現実の世の中は、逆の価値観が蔓延して、弱い立場、劣っている立場が、頭を垂れ、耳障りの良い言葉を吐いている。
今、私は指定難病に侵されている・・治る可能性は略、無いと医師から言われれる。世間の人達の言葉だと、病と戦ってとよく言われるが、戦えば勝つか負けるかの二局になる。当然、人間も生きもの寿命も有るし、何時死ぬかは解らない、有限の寿命と言う中で、宿主側の人間が死ねば、今は仮想の時代、細菌等が広がるリスクも減っている。
要は、宿主側が死に火葬されれば・・病側も生き残れないと言う事に思える。
闘病記の最初に書いている様に、共に先を見据えて進む、病と共にに成る。有る先輩から教えて貰ったが、共に生きる言うことは向き合ってはダメ・・・同じ目標・志に向かい一歩・前に踏み出す事だと教わった・・・後で自分なりに向き合う特に真剣な目・必死な目でと想像すると、喧嘩の準備に思える。この言葉のお陰で、夫婦でも各違う、しかし、同じ方向に進む思いが有れば十分と思えるように成った。

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