免の意味は、許しを請うと言う意味が有るが・・それに敬語で御を付けている。と成る・・・
しかし、色んな意味や状況で使う便利な単語に成る。
その為に、多用する人も多い・・・
しかし、この言葉の捉え方が、本来、多々あるべきだが、勝ち負け論に支配された人等に成ると、相手が「御免」と言ったので、俺の勝と思い込む人んの居る。
これが、事を複雑にする場合が有る。私の実の父親もこの傾向が有ったので、大変だった。
要は、「御免」と相手が詫びた事は、俺が正しいし、勝ったと言う論理を組み立てる。
よくよく考えて、日頃、「御免」と言う言葉を発している人に、この様に捉えられたらと思うなら、当然、絶対に「御免」とは言わないし、口から発しない方向に成る。許しを請う意味でも使うし。関係を持ちたくない距離を開けたいと言う時も使う単語に成る。
色んな思いで使う単語、その為に、「御免」言われた時に、どう捉えるかも、当然、多々あると思うし、己に一番、反省に成る方向で私は捉えたいので・・・・私と関係性を持ちたくない、嫌われたと言う。方向に捉える事が私の場合多い・・・要は、自慢できる事でないと言う事、人様から「御免」と言う言葉を多々言われたと言う事は、嫌われたと言う意味も有ると言う事・・・・
これを、軸出来ない人が居る、俺は最高に正しく、強く、偉い・・当然、人々から尊敬されていると思い込んでいるし、その証が、人様から言われた、「御免」の数という人も、現実には居る。
私は哀れと思う。本人は胸を張っているが、可哀そうである。
しかし、それを正そうと教えても、拒絶反応を起こす。全く逆の事に成るので、拒絶反応が出る。
私は、何時もバランスだと心掛けている。
右が正しいと、その先端、右端を目指い過ぎて、結果、そのポストを得た、時が変わり、左が正しいと成れば、当然、順応できない・・・
何度も書くが、勝ち、負けも捉え方に成る。
相手、人様がどう思うが、己がどう感じ、捉えたかが一番大事に成る。
私の息子達も、「御免」と言う言葉は口から、発しない、理由は、発すれば負けだと思ってる。この感覚が、結果的に不幸な人を増やす事に成る。
何故解らないのか・・・不思議でならない・・・・
裸で生まれ、一人で死んでいく身・・・己が如何、生きたか、感じ周りから捉えられてきたが???・・・これが、大事だと私は考えている。
私に、直ぐに「御免」と口から発している。感謝の意味も有るし、当然、
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