2021年1月25日月曜日

問題が、多々派生する・・・

 色んな問題が、多々派生する、勿論、私の力不足に成るし、問題と捉えるレベルが低いとも言われても仕方が無い。

四男も若嫁が稼ぎが少ないと言う事で、今の仕事を辞めると、私に直接、言った。

今は嫁の里に居る・・・田舎に住む、私の感覚だと、彼の給与が少ないとは思えない。しかし、足らないとの事・・・・嫁里が、生活費等を取って居るとは思えない。

正直、私にはその部分が解らないし、四男は、その為にタバコ銭も持たされていない。又、彼が独身の時の、ローン等は、払えないと、私の嫁が払っている状態で・・・私は????に成る。

四男に、里の父親に相談する様に諭した。マスコミ等で言われる、所帯を持つ為に必要な所得等を基本に考えれば、当然足らない・・・

しかし、地域で、物価も生活費も違うのが、本来の姿、それを身で感じているのも、若嫁の父に成る。

相談は、若嫁に近い関係者にした方が良いと私は考えている。

彼も、必死に働いている・・・21歳の他の子に比べれば、必死度が違うと私は、思っている。

しかし、若嫁は、普通は、一般的にはと言う単語を使って、四男を攻めている形に私には見える。

当然、上の兄達と違い、高校は卒業している、その為に、普通を演じようと努力している。しかし、その普通が、本当に、この地域の普通かは???各自の感覚、捉え方に成る。

先ずは、嫁の父親に相談と言うより、聞く事が大事だと諭した。

勿論、近所の市に成るが、市の違いで捉え方が違う場合も有る。それを見て、再度、考えても遅くないと言う事に成る。


又、給与が足らないと言うなら、一般的に、高いと言われる、配達業を長男が行っている。長男も、四男の個性、特性を知っているので、宅配業なら向くと思っているし、喜んで、紹介すると言っているが、四男は、日銭を稼げる、日雇いの塗装業を行いたいとも言っている。里の父は、建設業・・・当然、義父に相談した方が、現実が解ると思う。


色んな問題が、同時発生する・・・何時も寝れない、状態が続いている。

これも、三流で、力が無い、私に原因が有ると思うが、私も限界に近いし、歳も大きく影響している。

子育ては若い内に行う、これが母親の、靴癖だったが・・・その通りと思う様になった。

若い時は、苦労と思わない、処理する事と、邁進できた。しかし、最近は直ぐに苦労と捉えてしまう私が居る。

四十代で、祖父母の立場に成る・・・之も母親の口癖に成る。

要は、人の回転率を上げる、事が、苦労を、苦労と思わない、良い環境と言う事にも成る。

それを、今、実感している。

私が45歳の時に、長男は離婚、その処理も当然、若い長男、親の立場の私がする事に成るが、若かった為に、苦には思わなかったし、速攻で処理できた。

その後は、その孫達の面倒も、土日と、看る事に成るが、若かった為に、苦には思えず、嫁は楽しんでいた様だ・・・

今は、些細な事で離婚する時代・・・之を前提で考えれば、誰が孫達を看るか???この部分が出て来る。

私の父と同窓の、人は、孫を引き取り、上の子は、公務委員に成長させ、下の子は、私の五男と同窓に成る。

70代での子育て・・・大変だったと思うし、当然、年金等が、人様より多い事が可能にしたと思うが、それが無ければ、出来る事でないと私は考えている。

孫の運動会等にも、父兄として参加・・・凄い事だと、何時も、思っていたし、その事を伝えていた。

現代、誰が、責任を背負うかが、問題に成る。

子は出来ても、その親が、家庭を維持できない・・・之が現実に成っている。

それを知っているなら、世代交代を、速め無ければ、背負える存在が居なくなる。

しかし、晩婚化が進んでいる。熟成した大人との結婚に成るが、離婚率が減るか???同じである。

子育てと、親の介護が重なると言う現実が待っている。

同時に、多く成れば、四人の両親・その上の祖父母・それに加え、我子の面倒を看る、事が可能なのか????不可能に近いと思う。

勿論、お金が有れば、解決策も有る。私の様な貧乏人は、当然、お金が無いので、母が言っていた。回転率を高める、これが最善策だと考えている。

私の孫は、17歳を頭に居る。我が子の末子は、同じ17歳で有る。

当然、ひ孫の顔も看れる可能性が高い・・・それも、70代前に成る。

昔は、三世代が共に生きている事が、誉だった・・・今は寿命が長くなり、四世代、五世代も可能に成って来た。

未来に対しての、貢献を、我目で見れる、こんな幸せな事はないと私は思っている。

人の数、問題が有る。之が意味する事は、家族が増えると言う事は、問題も増えると言う事、しかし、この現象を、不幸と捉えるのか、幸せと捉えるのかは、各自の価値観に成る。

死ぬ間際、何を誉と思って、死ねるかにも成る。感謝できる環境が私は誉と思っている。

要は、平常心で、死ねる、この世に対して、やり遂げたと言う思いだと私は考えている。

最終的には、唯物的部分で無く、唯心的部分の、充実感と私は考えている。

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