2020年3月28日土曜日

希望が無い・・・・

最近、人様と話すと、希望が無い・・・私が感じる部分に成る。

本来、希望とは、将来こうなって欲しいと願う気持ち・・・・

将来に対しての願いは、私は有る・・・勿論、現実に出来るかは解らないし、周りの雰囲気等々を感じる部分では、不可能に思える・・・・その為に、願いに成る。

しかし、最初に書いた、人様から感じる部分に、希望が無く、失望・絶望感を私は感じる。

色んな人と話すが、若い人たちに、何故、伝えたり・教えて利しないのか????
当然、私の場合も、相手は聞く耳を持たない・・・逆に嫌われる・・・之が現実と思うが・・・何故、信じると言う部分まで、無くすのか????と私は考えている。

特に、若者、最初に頭に浮かぶ、我子に対して、信じておられない・・・理由を聞くと、信じると、裏切られるし、騙されるからと成る。

裏切られる、騙される事が、それほど悪い事なのか????・・・

私は、人とは間違いも失敗も起こすものと理解している。当然、嘘もつく事に成る。
我子は、神だと思っていれば、納得できないが・・・人間なら、当然、この様な特性が有るし、特に私の場合、三流の親、当然、子供のそれなりだし、人間の特性も多々あると言う事に成る。

考え様では、人間の対義語が、神なら・・・・人間らしいと言う事にも成る。当然、神からは遠く離れている事に成る・・・


長年、色んな人と縁して、色んな事を伺う、仕事をしていたので・・・・一つ解った事が、一般に良いと言われる事は、人で変わる、悪いと思う人も居ると言う事・・・
常識は、一つで無く、各自で違うと言う事・・・・しかし、同じ部分が、縁した人は、己に取って、良い人と思いたいと言う、意識・・・・

個々に矛盾が有る、相手が思っている良いと、己の良いは違うと言う事・・・
良いこの部分を、もう少し、探究する事が必要だと私は、感じている。

己にとって良い人・・・賛同する人????指摘する人????・・・逆のタイプに成るが、状況で変わると思う。

若し、賛同者を多く必要とすると考えれば、当然、その様なタイプを多くそろえた方が、思い通りに進む・・・要は、人は、目的で人を選ぶ事が出来ると言う事に成る。

要は、独裁者的に、己の思い通りに成る、之を良いと思っている事に成る。

しかし、昔書いているが、本当に思い通りに成る世界が、良いのか????幸せなのか???否定もされず・指摘もされない・・・・賛同者しか居ない・・・少しでも気に入らないと成れば、この世から消える・・・この様な世界が、幸せとは私は思わないし、気が狂いそうになると私は考える。

逆に、この様な世界なら、希望が湧くのか、又は生まれるか????私は、希望は無いと思う。

殺伐とした、荒れ野だから・・・夢が持てるし、将来を展望できる・・・希望が持てると私は考えている。

要は、現状では不可能に思える・・・大きな希望を持てる、人間力を育てる必要が有ると言う事に成るし、それに則した、価値観を学ぶ必要が有ると言う事に成る。

先に書いている部分で、我子にも希望が持てない・・・之は現代の、現実だと思う。それ位、多くの親が、その様に捉えている。
逆に、心配・不安が多く有るので、子供に勝手にしてくれと成る。

私は、心配・不安が多くあるから、それ以上に、希望を持つようにしている。
之が、縁を保つ方法だと考えている。

仮に、子供に重度の障害が有る・・・・しかし、親なら希望が有るから、育てると思う。子供の少しの変化でも、捉える事が出来るし、当然、大きな希望に成るが、健常者には不可能でも、それに近づく・・・この部分を気付く、之も縁を強く保とうとする希望から来るものだと考えている。
些細な変化でも気付く、之が共存と私は考えている。

勿論、逆の変化も有ると思うが・・・それを気付けることが、幸せだと私は考えている。

縁が遠ざかれば、当然、些細な変化等、気付かないし、解らない・・・この知らない・無知方向が、幸せだとは思わない・・・・


しかし、今まで縁した、私たち以上の年代の人は、この縁を切る、事が幸せだと思っている人が多い・・・見えない処に居た方が、心配も無く、幸せだと言われる。

要は、縁が切れて行く事が、心配が減るし、己の心配だけに注視できる・・・この方向が良い・・・しかし、幸せとは思っていない様にも感じる。
単純に楽と言う事に成る。之が意味する事は、死んだ方が楽だと言う事にも成る。

生きる、意味を学ぶ機会が無かったのか????・・・・・タダ、楽を求めて生きていたのか????・・等々、想像する事に成る。

要は、何度も書くが、人は、独裁者的部分を、多く持っている。又、この立場を何故か幸福で、幸せと捉えている。

楽が良い事なら・・・病や老いは、悪に成るし、認めないと成る。
本当に悪なのか????・・・・私は、生物なら当然、起きる事だと捉えている。

要は、苦これも厳然と有る・・・楽が有れば、当然、苦も有る・・・・
私の人生で、苦の時が、一番、思い出として残っている。苦の些細の違い等々も確りと覚えている、しかし、楽は殆どが一緒で、殆どの思いでも忘れている。

要は、苦を多く経験した方が、思いでも増える事に成る。
之が、意味する事は、苦は悪とは、成らない事に成る。

又、苦が、良い思い出と成っている。


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