2019年6月19日水曜日

変わりが居ないから・・・当然、自分・・

私の周りでは、変わりが居ないからと・・・責任感が強いのか????・・・自分がと成る人も居る。

しかし、その行動は、自分勝手な行動・・・何の報いも無い、これを覚悟して行う事が求められる。

先人が言っていた「お天道様は見ている」この部分だけと言う事に成る。

他人様を、看取ったが・・・・お金に換えられない、勉強が出来た・・・逆にお金は、湯水の様に、減らす方向に成ったが・・・・之が、変わりが居ないから、私がするという事だと私は考えている。

仮に、対価が有り、それが儲かれば、誰しも、居る・・・又、求める作業に成る。

変わりが居ないという事は、この部分が無い、逆に、唯物的に損する方向に成る。

この損に繋がる、方向だから昔は、道理や道徳的、価値観を教えていた。
仮に、親が老いて、倒れた・・・・誰が看るか・・・・実子と成る・・・之が、昔の道徳・・・

現代は、この部分が憲法等で定めていない。

理由は、子供が居ない、老人も居る・・この差を、差別と取る方向がある為に、定める事が出来ない。

我が村の、納骨堂の、会員規約も、後継の者が、世話をすると記載してあるが・・・罰則が無いし、後継の基準も無い・・・・

しかし、規約が出来た当時は、何の矛盾も無かったし、運営が出来ていた。
現代は、骨捨て場と、納骨堂が成っている・・・・
他に住む、人が亡くなり、骨と成って、納骨堂責任者宅に、カギを借りにきて、勝手に、納骨作業・・・本来は、火葬証明書等の書類等々の提示を求めて、納に来た、人の住所等を、記載して保管する、これが求められるが・・・之が、出来る様な人が、カギの管理をしているとは限らない・・・・

要は、現代は、義務や責任等々より・・・権利を憲法や法律で守り過ぎている。
本来、権利があるという事は、それに伴う、義務や責任を加味しているが・・・之を理解している人が少なくなっている。

納骨堂も、この墓所が要り、必要とするなら、当然、維持・管理に対しての責任と義務が有るという事・・この部分を、規約に記載しなくても、誰しも解る、時代から、現代は、解らない時代に成っている。

今、テレビ等で、年金等々が論争に成っている、貰う側は、当然、得したいと考えているし、損する等々、考えないし、損すれば、年金を支払った意味が無いと言う考えで、事が進んでいる様に見える。

全ての、年金の時給者が儲かった、得したと成る。世界は、可能なのか????
私は、有りえない事に対しての、論争と思う。

得するという事は、誰かが損している事に成る。

私は、損得勘定で、全てを判断する・・・之は間違いだと考えている。

何時も思う事だが、裕福な暮らしが幸せなのか????

分相応の生活でも良いと思うし、分以下の生活でも、幸せと思えれば良いと思う。

しかし、此の年金での月の所得・・・子育て親の介護等を行いながら、20万以下の所得で、頑張っている家も、田舎では多い・・・
この家庭は・・・・有りえないという事に成る。

結局は、バカにしている事にも成る。

年金も、若い世代が支えている・・・この若い世代を、産み育てた人が、年金を頂く立場に成る。
結局は、自業自得と言う事に成る。

現代の、考えは、個々の人の価値観・考え方、行動が、社会と成るし、その上が国に成る。
社会が悪い・国が悪い・・・簡単に言えるが・・・現実は、自分が悪いという事に成る。


私は大家族が良いと考え、風潮もしていたが、影響力が無かったという事は、私が悪いという事に成る。

この様な発想がある人が、何故か不思議だが、誰も変わりが居ないから、自分んと、背負い込む人が、多い・・・・

之も、社会のバランスを保つための、部分だと考えている。
得する人が居れば、損する人が居る。
何方を選ぶかが、道理や道徳観に成る。
この部分を、教わって居なければ、当然、得する側を目指す事に成るし、矛盾も感じない事に成る。

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