何時も来ている、長男・三男が来訪・・・・
孫を病院に連れて行くと・・・二男の嫁が来訪・・・・その際、下の孫を預かった。
今は、孫二人を看ながら、五男を塾に送り届け・・・・・事務所で一息・・・・
又、子供達と、私との、ギャップ・・・・同じ言葉に対して、捉え方が違う・・・この部分が面白いと考えている。
人を太る・・・勿論、色んな意味が有るが・・・この部分も各自の意味が変わる・・・
我地域では、肥えていると言う・・・・・この言葉、当然、子供達も知っている、太っている事だと言う事は、私と同じだが、他にも私の場合、色々な事を想像するしイメージする。
肥(コエ)と言うが、この単語を耳にして、色々イメージが出来る筈。
我地域では、肥が効いていると言うが・・・肥やしが効いていると普通は言うと思う・・・・
肥やしと聞くと、肥料を思い浮かべる・・・・しかし、田舎に住む私は、肥と聞くと、糞尿をイメージする。
子供達は、汚い等々言うが、私も汚いとは思うが、子供達が言っている様な拒絶感は無いし、受け入れられる、範囲には言っている。
又、よく私は耳に痛い、事をどう捉えるか等々、書く事が有るが、現代は、耳にこの様な言葉から、遮断する能力が有る人も増えている。
学びを私は遮断する、能力だと考えている。
単純な文字、言葉、しかし、その意味の捉え方は、色々有る、その為に、意思の疎通も正確には出来難いと考えている。
嫌も嫌の内では無いと言う諺もある・・・・・良しも良しで無い場合も有ると言う事にも成る。
私の地域では、ヨイやヨカと質問に対して、答える場合が有る・・・・ヨイを良いと捉えると、意思の疎通が出来なくなる。
要らない・断ると言う意味で使って居る時が多い・・・・・之を悪用した、商法が昔有ったが・・・・
之も、人で言葉の意味を逆に捉える人が居ると言う事。
生きる・・・この言葉、単語もよく使うが・・・生きるとは???と考えれば、国は国民が人として生きる、この部分は保証しているし、生活保護と言うシステムも有る。
人として生きる、最低限は守られているのに、昔、何故か私の周りの大人は、生きる為に苦労している。又は努力している・・・凄くなると、血の出る様な思いで等々を言う、大人が多かった。
国が最低限は保証しているのに何故と考える事に成る。
生きる、意味が、国が言っている事と違うと言う事に成る。
自己の生きる部分は保証して有るなら、他に目的が有るから、努力や苦労等々の単語が付くと私は考えている。
国が言っている、生きる、以上の目的が有ると言う事・・・この部分は何か????此処も各自の考えで変わる。
現代の教育は、この部分を己の為と言っているが、我欲を太らせる、この方向に捉えて居る人が多い様だ・・・
我欲も色々有ると思う・・・・人への奉仕も、欲に成る・・・・我の欲・・・・しかしこの場合の我欲は、己だけ、利益を得ようとする、意味に成る。
しかし、この部分も、人への奉仕も、利益と感じる、人も居るかもしれない。
利の捉え方も、各自で違うと言う事に成る。
結局は、対話が必要と言う事に成る・・・・直接、会う、之が大事だと言う事に成る。
我地域だと、「之は良い商品」・・・(買って下さい)之が心に有り発している言葉、其れを察して、ヨカ・ヨカ・・・「お願い」・・・ヨカ・ヨカ・絶対にヨカ・・・・と答えた場合・・・・
対面だと、要らない、断っていると成るが、言葉や、文字だと、解り難い・・・・
この様な言葉尻を捉えて、悪用する人が出て来たので、表に出す、単語を悩み、吟味して使う方向に向かっている。
結局は、心が籠らない、又は感情が入り難い、言葉に成っている。
日本人も、機械的、認識度に退化している可能性が有る。
想像力・イメージ力の退化と私は考えている。
之も、正しい之が余りにも厳密化する流れで出来ている感じがする。
一つ、簡単の答え、之が正しいし、間違いを起こし難い、この流れに向かっている。
人間のデジタル化だと私は考えている。
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