2017年11月12日日曜日

ドリフトを見せる・見る・・・・

RCドリフトの趣味を長年続けている・・・中々、思う様に成らない為に、続けているとも言える。

ドリフトと言っても、色んな考え、思いが有ると思う・・・・

私もこの部分が変化し続けてきた・・・・・以前はカウンターを出して走るグリップカーを目指していた・・・しかし、何かが足らないと思う様に成って来た。

何かを、模索・探している状態が今である。

足らない部分が、RCドリフターの発言に有る事に、気付き・・・・今、その部分を目標に頑張っている。

何かは、何度の書いている、ヨーを見せる・・・・その為には見る目を育てる事が必要に成る・・・・

ヨーが続くから、ドリフトの距離が伸びる・・・・この方向性は外部操作のRCの場合、操作が私の場合、難しい・・・・簡単に書けば、前後のタイヤを喧嘩させた、かに走り的、走りが外部操作のRCには楽に私は感じる。

リアが出ている、感じが見えない、しかし、前後のタイヤの喧嘩を促進すれば、斜めや横へ車が進み出す・・・之をドリフトと思うか???思えないか????どちらかに成る。

操作の引き出しとしては必要な部分だが・・・・リアが出続けている挙動が無ければ、生命感が感じない

勿論、下手で無知な私の感覚に成る・・・・

リアが横へ出る、出るから、自然に最小限のステア操作で、舵角の表現をする。
この流れが、無ければ、喧嘩走法になる車の挙動は重苦しい動きに私には見えてしまうし、ドリフトの躍動感が一気に薄れる感じがする。

車が泣いている感じさえするときが有る・・・車自身が、喜びに満ちる走りをしている、その為の操作を、操作側が必死にしている、この関係性を私は妄想し続けている。

RCドリフトの無限な可能性が、操作側の技量に掛かっていると私は考えている。

勿論、外部操作の宿命が有るが・・・車が発している、挙動を、確り、感じ取れれば、操作は可能だと信じている。

しかし、感じ取れる五感が、無い私の場合、先ずは五感を鍛錬する方向が大事に成ると思っている。
最近、愛車のモンキーを触っている理由も・・・乗車する乗り物は直ぐに体感で解る。
しかし、私の場合、RCに成ると、この部分が無い・・・勿論、RCドリフターは凄い感性の持ち主が多いので、私と違うと思うが・・・

この乗車した時と同じ様な、感じ方に外部操作のRCでも成りたいと今は、夢見ている。


今回、試したい事がある。勿論、テスト走行・・・・嫁の許可が出た・・・感謝に成る・・・

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