2017年7月10日月曜日

最近の傾向性・・・

よく、私の周りでは「鍋をみてろ」と指示すると、焦げていても、見ている・・・タイプが多いと言われる・・・

みるも、見る・看る・観る等々、色んな意味が有る・・・

何が目的かが、人で、違う事に成る・・・指示した方は、鍋の中の料理が焦げない為なのか、又は、沸騰をさせる事が出来ないのか・・・等々、色んな目的が有るが、今までの経験も加味して、指示をしているつもりだが・・・・指示を受ける側の、目的の捉え方の違いが、問題に成る事が増えている・・・

言葉が通じない、之が最近の増えているという事に成る・・・

しかし、全てを説明し指示すると、今度は説明が複雑で長過ぎるから解らないと成る、事も増えている・・・・

しかし、この一連の流れ・プロセスを感覚的に知っているか、知らないかで、大きく違うと最近、気付いた。

プロセスを知らないから、言葉に対してイメージが出来ない・・・出来ないから、言葉通りの事をする・・・した結果、鍋が焦げたに成る・・・


しかし、経験値が無いや、知らないと尋ねる行動が、恥と考え、しないし、逆に、自分を飾る見栄は大事にしている・・・・

逝った母の口癖「尋ねるは一場の恥・尋ねなければ、一生の恥」・・・この言葉を、私は大事にしているし、この歳に成っても知らない事が有れば、頭を下げて、尋ねる事にしている。

知らない・経験が無いから、イメージ出来ない・・・出来ないから、言葉をストレートに取り入れてしまう。

無知は、知らないこと、経験が無い事、無知が有るから知る努力をする・・・

しかし、無知以下は・・無知という事さえ気付かない・・・之が,愚民と私は勝手に言っている・・・・

この愚民を作り出す、方向性が、今の社会環境には有ると言う事にも繋がる・・・・

この環境下で、この様な人が増えているなら、其れに対応する事が必要に成る・・・・

この特性を一旦身に付けると、治る事は基本、無いと私は考えている・・・男なら25歳位・遅くても30歳迄に気付き、努力すれば、変化できると思うが、この年齢を超えれば、基本、無理・・・

結果、誰かが、処理し面倒を看る事に成る・・・・面倒を看る人が居なくなれば、大変な地域社会に成り出す・・・

結局は、家庭教育だし、学校教育・地域教育・社会教育で、人が出来ている・・・・この教育が何故か、愚民政策に繋がっている感じが私はします。

庶民は愚民で、誘導・扇動され易い方向性が、権力側は、楽だと考えていることにも成る・・・

本来、文明が発達すれば、価値観の多様かも伴う・・・趣向性の多角化は、現実に増えているが、何故か価値観は一極に向っている・・・

人の本質部分が、一極に向う、権力側には都合がよい・・・目に見えやすい、趣向性の多角化が、価値観の多様と勘違いを起している・・・

簡単に、誘導・扇動が出来ている事に成る・・・・

外に有る、絵に描いた餅を獲る、之が幸せと習っているし、信じている・・・本来、内に有る、心が如何感じるかが、大事だし、その感じ方も各自で違う筈・・・その為に、幸せという形は本来存在しない・・・・

この、形が無いものに対して、この形が幸せだと、思わせる、価値感を知らず知らずに身に付けている事に成る・・・

結局、人との対比、それで長けているか、得しているか・・之が幸せだと感じる、人を排出している事に成る・・・対比に成れば、その逆が存在する・・・負けている・損している、この立場が居なければ、幸せと感じない、人に成っているという事・・・・

この考えが正しいと成れば、この価値観では不幸な人を多く作った方が、幸せを得る事に繋がる・・・・

この一神教的、価値観が、何故日本国に蔓延しているかが、私は不思議に考えている・・・

勝つ事しか、幸せの道が無い・・・この様な考えで本当に良いかは、各自が考える事だし、社会のリーダー等々の考えで、人々の価値観も変る・・・・

私は三流以下で庶民以下のレベル・・私は世間を下から眺めるしか出来ない・・・・

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