今日は透析日、 忙しい一日に成ると思う。早朝と言うのか?午前三時位から向の患者さんがつもの様に大声で、叫ばれ出した。その音で目が覚め、何を訴えてるのかを聞こうと思うが、人を呼叫び・・・・・要望等が聞きと取れない・・・・他の患者さん達も目を覚まされているようで、痰が絡んだ音を出して居られる、少しでも安らかな睡眠を多く取って欲しいと願っているが、凄い層オウンで有る。叫ぶ人の、伝えたい事が解らないまま、六時が過ぎ病室の電灯を点けに来た。看護士に、側で確り聞いてあげてと頼み、行って貰ったが、聞く看護士に、何をして貰いたいのかを言われない痛い??痒い???暑い???寒い???等の例を挙げても、答えられない・・・・対応できないと側から離れると、「くそ・バカ」と看護士を罵られる。此を何度も繰り返しtレ出た答えは、夢見が悪かったので、助けを求めての叫びだったようだ・・・・その後、静かに眠りに就かれたようだ、ブログUP時に又、大声で叫ばれた。しーーとしている部屋にビックリする!!!
こんな俺でも、人さまの役に立てる場が有る。この事に感謝になるし、幸せと思う・・・各々、住む次元に絵ベルも環境も違う、その与えられた場所で、どう振舞うかが。人の生き方になるし、祖おっ毛、幸福というものが現実に見に感じるようになる。
私は何度も書く様に自称差別主義者である。その為に人は各々、違いが有るし、価値観の相違も当然ある。要は何度も書くが各々、澄む世界も違う・・・それを誰が望んだのか、当然己に成る、生まれてきた環境も己が選んでに成る。人として生まれるとの限らない・・・望み、己の命が求めれば、生命全て生まれ変わると私は思って居る。永遠に近い命を望めば大樹やアメーバーとして生を受けるかもしれない。
この色んな次元・環境・生命にも転生できるのが人間と言う時代に成る。この時に、本来の人道・天道・声聞道・縁覚道・菩薩道の言うレベルを維持し続けないと、来世はその人が求めた環境に生を受ける事に成る。現実でも、人は同じ価値観同志で集団を創る、ヤンキーはヤクザとの関係性が出て来るのも当然、各々が求めているから、この小さな差異での競争・優劣を競い、仮に優秀に成ったらどうの様な言動をするのか、己の周りの中で少しでも優れていると思うなら貢献する。透析の時間が来た。後で!!!!!
透析後、お迎えに50分かかったので、三時以降からの昼食、それに合わせる様に、リハビリの担当者が、状況を判断され、後に伸ばして貰い、リハビリも終え、今自室に戻った。早速、続きをUPしたい。
人道の上に、天道・天界とも言う・・・・人が己の好みで浮かれている状態・・・これを得る為に、餓鬼道・畜生道を行うのも人間である。その上に属する、声聞道・縁覚道とう言う二道は.己の為の上昇本能で、上り詰めれる境地に成る。要は我を脱していない。菩薩は、己を犠牲にして他に尽くす人、勿論、各々の環境もレベルも違うので、ボロボロに見えていてもそのレベルでは確り利他の振舞をされている。各々の階級・レベルに菩薩業の出来る人が、半分は無理だと思うが、少なくても三割の人が行う世界、幸せで幸福な環境だと思います。
母が言っていた。己の為に生きるなら、生きる意味がない・・・他の為に生きる人生を追及せろ・・・・と・・・・
菩薩道が実践している人が三割を超えると天国と言う世界に成る。
餓鬼・畜生道で形成された世界を地獄とも言う・・・人道は、どちらかと言えば、地獄に近い・・・要は、直ぐに修羅・餓鬼に陥ってしまし、当然感謝等の思いも無い、有るのは妬みと恨み・・当然、地獄と言う事・・・・
何度も書いているが、見掛けが良く、ブラインド品で身を固め、己は凄いとアピールする、それに長けている事が、幸せと思って居る。身形が良い地獄図の状態に等しい!!!!
今、戦場で戦っている兵士は、己の身を犠牲にして何を求めているのか???純粋に愛する人を守る為なら、阿修羅のごとく守り抜く・・要は振る舞い方での差に成らない・・・思いが利他の為に、己負を選んでいる。
武士道にも通じる事だが・・・天国の世界を後世に残したいその為には己は地獄に落ちても構わないと言う、信念・・・・
考えれば、西欧で言われる神と同じ・・・一神教の世界では神には成れない、縋るのが、人間と成っている。
縋る側は少しでも振り向いて貰いたいと・・気に入られると思うアピールをする、誰の為、当然己の為、結果、神に気に入られる為の、カタログスペック・力を求めだす。団栗の背比べで、勝った側が搾取・負け側が搾取される構図となり、何の苦労もしないで得たお金、当然・・・慈善事業の寄付も出来る。明日、食べる事、生きる事が困難な人に、寄付等出来るのか????
この病死にも、私の父に似ている患者さんが居る、何時も喚き騒いでいる人、よくよく監査るすると、私も含め、咳払いや物音がすると大声で意味が聞き取れない「おい・こら・×〇×〇」と怒りに満ちた声えで吠えられる、うかつに咳払いも出来ない。廊下を重症物を転がす、ローラーの音がする都度の騒いである。雰囲気からは煩い・俺は病気だ配慮をせろと打ってているように聞こえる。
己の大声でお叫び・誰と解らない固有名詞の連打・・・・今の私では対応できない。80歳前後の人・・・若い時に価値観・哲学を学ば無かった為と思う、要は価値観が確りして個性・癖に成ってしまっている。この様に成らない為にも男なら30歳前後で苦労して、色々、学ぶ事・・・この時点で、若い時の武力・力・威圧が全てと思って、年取った時に、変化が出来ない事に成る。
父と同じで任侠映画全盛期の人・・・・肩で風切って歩くのをかっこ良いと思って居られる。
要は、子供の頃の家庭教育に成る。大勢に歯向かう、それもつ直接的にこれが格好良いし、正義だと思いこむ・・・1970年代の暴力的なスト・その際、尊い命も奪われている。正規の名の下で人が命を失う、捧げるなら理解できるが、先導者の為に命を失う・・・悲しい現実が、今も戦争と言う形で、多くの弱い立場の人達が命を落としている。強い立場は守られている。しかし、守ってくれる人が居なければ身動きも出来ない立場、これが幸福だとは思わない、又、自由とも思わない・・・・
人は何故か、この永遠の地獄の連鎖の列に並びたがる、何時かは神輿の上への思いで・・・この思いを利用して、担ぎ手を創り出している。当然、同じ、担ぎ手同士での競い合いが始まり、争いにまで発展すれば問題と言う事に成る。
向かいの患者さん、よほどの不満・要求が有るのか、透析室から帰って来られて、今も騒いでおられる。私一人、夕食を食しているが、食器を置く軽い音で、怒って大声を上げられる。周りの患者さんの些細な吐息でさえ、同じように怒って、大声を上げられる。相当、恵まれたお俺勝手な環境で生きてこられたと思われる。奥さんの名前を呼び続けられている。二日に一度くらい、大変な道のりだと思うが、高齢の身で、見舞いに来られている。無言で、側に居られるが、その際、一言も口から大声をはすることも無いし、要望も言われないので、直ぐに帰られる。その後が「かーちゃん」と何度も何度もの大騒動に成る。
看護師長も何度も部屋替えの申し出が有れば出来ますと言われているが、私の世間知らずの器の狭しの証明に成ると思うし、色んな人と関わらないと、私は聞いた見た、縁した程度では理解できない、行動・それも己が苦手・不得意と思う方向への順応性が必要だと思います。
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