2023年12月12日火曜日

今日はユックリと・・・・・

 夜勤明けで休みの嫁が居る。今日は、朝から、ユックリしている。

息子二人を起す作業は行なったが、その後の世話は嫁に任せ・・・私はベットの上で熟睡・・・・昨晩、7時過ぎにベットに入って。ベットから出たのが今朝の9時前・・・・12時間以上、体を休めたことになる。

疲れが取れない・・・・キツイ・キツイも休息を取れば、回復するが、その時間が、病気の影響なのか時間を必要としている。

嫁も、今日は、リハビリの通院が有るから、ユックリしとけば~~~と言うので、言葉に甘えて・・・ゆっくりと過している。

何度も、書くが、人として当り前の道を歩き続けている。「生老病死」の四苦と言われる、宿命を居だして生きている。四苦???・・・苦と捉える・・・此が、凡夫・・・釈尊は、当たり前の事と捉えれば、苦にならない・・・この様な、説法を、庶民に伝え続けた人でも有る。

要は、苦と思うから、苦を避けたり、逃げたりを考える。当然、不可能だから、そこに信仰という宗教が侵入して来る。理由は、当然、儲けるためで有る。

当り前の事を、当り前と捉え、処理できる、此を目指せと釈尊は言っていると私は考えている。

奇跡等を願っても、空しい・・・・

しかし、この流れが、自然に、無信仰と言われる人達にも、入り込んでいる。不可能の事が目標となる。これ以外は不幸という事に繋がっていく。

例を挙げれば多々有るが・・・一例が、「ピンピンコロリ」で人生を終る。要は、死ぬ瞬間まで、健常者・・・優秀な消費者を続けて、死ねと言う事に成る。

又、人様に迷惑を掛けない生き方・・・これも不可能で有る。病を患えば人様に迷惑を掛ける、此を前提に考えれば、健常なときに何が出来るか、人の為に何が出来たかを問われるのが普通だと思うが、現代は、その部分は無視され、己にどれ程投資したかで、値打ちが決まる世界に成ってきた。

損得勘定で、損をするな!!得を目指せ!!この様に教育された人々・・・当然、損を背負う、責務を背負う方向には向かわない・・・

結果、人との繋がりを持とうとすると・・・・負を背負う覚悟が無ければ、人は集まってこない・・・

親子間でも言える。親が負を背負う事が出来なくなれば、子は寄り付かなくなる。負を受け止めている間は、子は近づいてくる。

此も、人間教育をどうされたか????・・・此が問われることになる。

私も、病の身だが、マダ・マダ、責務・負を背負う覚悟は有る。勿論、現実は???と言われると不安が有るが・・・覚悟は決まって着る。

三流で、劣っている立場で、この様に考えている。

一流で優秀だと思っている賢女者はどう思っているのか????

現代は、不思議な時代だと私は考えています。

0 件のコメント: