世界は改革の中で、変化して聞いた。
しかし、改革も色々ある。問題という物は基本部分と取り巻く環境等色んな事が相互作用して問題となり、拡大していく・・・
日本人の凄さは、改善という方法で改革を行っている点・・・共々に挑戦・変化する為に頑張ると言うことになる。
先のブログにも書いているが、何故、改革が必要なのか???・・・問題が有るから、問題が表面化するからになる。弱肉強食の動物の世界なら、生き残るためにと言う側面がある。
己は別に起き・・・他との立場関係で生き残るためには、弱い・足の遅い者を輩出すれば、己は助かるという考えも出てくる。
要は、己は全く変化しない、この場を動かない・・この状態でも餌に成る者を多々周りに置いていれば、飢えた野獣も、満腹で襲うことも止める。
要は、己より、弱い立場を創れば、己は助かるという理屈になる。
この価値観が強いと、勝つ可能性が低い場合は、最終的にルールを変える。それでも駄目の場合、土俵を変える・・・土俵を帰ると言うことは、排除・除外方向に、向ける、当然、差別とならないように、綺麗事を最前線に置いた論法になる。
日本の場合は、基本・愚直にと言われるほど、真面目に物事に対して取り組む、現状を把握し、その中で、何処を変化させれば、己も含みに皆が喜ぶか???・・その為には、当然、己も皆も努力が必要になる。
改善という方向になる。
しかし、問題が有るシステムが悪い、要はシステム自体が問題と、それを悪と規定し、排除して、新たなシステムを創ろうとする、これが世界的な潮流になる。
簡単なことだ、日本国、ゴミが少なく、町が綺麗だ・・・これが目標なら、ゴミを路上に捨てない・放置しないという民衆を創れば済むこと・・・要は、民衆の価値観が大事だと言うことだ、しかし、俺くらいは・・・とゴミを路上に捨てる人が、数人から、全体に広がれば、当然、ゴミが惨落している。町となる。
人が、楽で簡単で、利に成ると思う方向に進む・・・その結果がゴミが散乱している町か、綺麗な町かの違いになる。
策を色々用いても、人の価値観・命が変わらなければ、ゴミ箱を多々置いても、同じである。この流れになれば、ゴミ箱が少ないからと言う逃げるために理屈まで出てくる。
民衆の価値観・命が変わらなければ、何度も書くことだが、革命も独裁者の首の据え変えで終わる、様は、上層部の顔ぶれが変わっただけで、現実は同じだと言うことになる。
しかし、日本でもこの地味で、目立たない努力・意味が無い・損だと言う風潮が蔓延してきた。結果的に目立つ事で、世界的な風潮に流されだしている。
人が興味を示す・・何か???・・・要は人が盛り上がる事柄になる。
それで何が変わるのか????・・・私自身の何が変わり・成長できるのか???それが、無ければ私は興味が無い・・・
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