2022年10月4日火曜日

なぜ敵を増やすのか???

 周りから、私の生き方は敵を増やす生き方で・・・生き難い、生き方と言われる。

私は嫌われたいと言動を起こしていない・・・その人の為・又、己の為に成ると思うから、言動に成る。結果、嫌われる、仕方が無いと思う。

我が子も同じだが・・・子から嫌われても、言い聞かせかとダメと思う事も有るし、力で押さえつける事も時には必要だと思っている。

何故、嫌われると解ってもしてしまうのか????綺麗ごとで言えば、個に対しての愛情が有るからだと私は考えている。

又、何度も書く様に、私は対外的に敵や味方と言う捉え方をしていない、特に、私の周りにいる人たちの価値観だと解らない成る。

よく・・・私の場合、大事が起きるが、生き残る・・・仮に、敵が強くてレベルが高いなら、当然、命が亡くなっても仕方が無い・・・しかし、生きていると言う事は、配慮や手抜きをしていただいている考えている。

要は、私に対しての愛情だと捉えているので、感謝しかない。

その為に、何故、敵に感謝と言われるが・・・私は普通だと考えている。

仮に、己は力が有り、一流と言うなら、その敵も力が当然有るし、レベルも高いはず・・・己のレベル以下なら、赤子をひねる程度で容易い事に成る。

若し、敵と戦い、負けたと成れば、一流を負かした・・超一流と成るが、現実は、蟻レベルの相手の場合ある。この様に捉えるから、負け惜しみをしてしまう。正直に己のレベル以上の相手だった、反省し、力を再度つけなければとなるのが本来だと思うし、負けた状態で生きていられるなら、敵に感謝することに成る。

要は事柄の捉え方が私は、一般の人と少し違うように思う。

現代は、問題が起きれば、加害者・被害者の二極に分けてしまう傾向が強い・・・

例として、夜中、家で酒を飲み、田舎の農道を軽トラで走っていた。田舎だとよくある話に成る。

夜中に二時・・道を歩く人など、当然いない・・・しかし、その日は暗闇に溶け込む暗い服装の高齢者が道を歩いている。道幅が狭いので、路肩に落ちないように、高齢者も当然、道の中央を歩く・・・

この状態で、人身・死亡事故・・・今の常識なら、飲酒運転した軽トラの運転手が100%悪いと成る。

考えれば、軽トラの運転手・・長年、この習慣で生活されていて、事故も起こしていない・・・・たまたま、夜中の二時と言う時間帯に、まさか高齢者が道の中央を歩いているとは想像もしていないし、その服装も、暗闇に溶け込んで、見えない。

運転手は日頃の習慣を行っていただけ・・・たまたま、日頃と違い、暗闇に溶け込んだ、老人が居たと言う事に成る。

この老人が居なかったら???・・・当然、何時ものと同じで終っていたと思う。

何時もと違う事が起きた・・・これを私は悪いとは考えないが・・現代は何時ものと違う事が起きても悪い事と捉える人が多い、この価値観なら、軽トラの運転手は、事故の問題に対して、どのように反省するか???・・・想像が付くと思う。

私は、何かが起きる、想像もしていないと成らない為に、想像を含まらす方向にしている。

敵が強いなら、我が命も無いはず・・・勿論、本当の敵ならに成る。もしかすると私を守護する立場の人かもしれないと言う事

周りには、三流で、力も無い、異端児の私、赤子をひねる程度のレベルの為に、敵として認識していない可能性が高いとも言う・・・・

この様に考えるから、分相応の敵しか現れないと私は考えている。

私自身が弱いなら、敵も弱いと言う事・・・・

要は、敵に思えても感謝しなければと成る。


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