苦しみと聞くと、嫌だと思うが・・・しかし、避けられない苦しみは、必然と捉えた方が私は良いと考えている。
仮に物を得る・・・嬉しいし、苦と逆の感情に心は成る。
しかし物を得たと言う事は、維持管理も当然、義務と責任に成る・・・この部分は必然と言う事・・・しかし、嫌だと感情が思う方向に成る。
私は、以前も書いているが、店じまい等々、世に出た物は、最終的に無にする・・・之が求められていると考えている。
飛ぶ鳥跡を濁さず・・・この思いが無ければ、何の変化を求めても駄目だと思っているし、当然、何かを得る・行動すると言う事も、良いかも知れないが、負を他に残しては意味が無いと考えている。
今まで、縁した、経営者との話で、商売を拡張する事より、店じまいに向ける方が、能力が要るし、当然、大変だと言う事・・・・
しかし、商売の拡張に、全神経を向けて、取り組むと言う事は、店じまいの方の意識が無い・・・結果、己の能力を超える程、商売を拡張してしまったら・・・店じまいは結果的に多くの他人様に迷惑を掛け、又、残す事に成ると言われる人が多かった。
殆どが、逃げると言われる。
要は、利には我武者羅に走るが・・・負からは、一目散に逃げると言う事に成る。
この部分も、基本は、物を得る・・その時の、感情や思いと成るし、捉え方と言う事に成る。
以前書いているが、嫁が、第一子を生んだ・・・喜ぶべき処と思うが・・・私は、思い責任で、身が潰れそうに感じた。
子は宝と言われる。宝を頂いた、当然、喜ぶ部分と思うが・・・私は宝に育てる責任と義務に潰されそうになった。
私の性格を見て、母は、欲が無い・・駄目だ、男は欲が無ければ、大成しないと言っていたが・・・・私は何が大成か???・・・・人間、何時かは衰え・死ぬと思っていたし・・・大成したら、その後は、店じまい、後片付け・尻拭き作業が有ると思うと、分以上に大成しては駄目だと言う、思いが強かった。
又、大成とは、己自身と言う事でなく、私がこの世を去る時に、どれだけ確りした後継者を残されたか???これを大成と私は思っていた。
蟻程度の分で、像と戦う・・・無理だ・・・しかし、蟻が大量に集団で像に挑めば、勝負は判らない・・・・
要は、人間は集団の中で生きる生物・・・個の力より、個を増やした集団の力が問われると私は考えている。
要は、何を得るかで無く、何を残せるか???これを問われているのが人間と私は考えている。
集団の社会に、何を残せるのか、当然、個人としてに成る・・・
この様に考えると、苦しみの捉え方が大事だと思う様になった。
嫁と共に暮らす、当然、苦しみが存在する・・・子を育てる、当然、苦しみが存在する。
親と暮らす、当然、苦しみが存在する。
物を得た、当然、維持管理・処分で、苦しみを感じる。
要は、多くの苦しみを感じたと言う事は、それだけ多くの人に影響を与えたと言う事・・・又、物を得たと言う事にも成る。
之を、苦しみイコール・・不幸と考えるか・・・幸せと考えるかの捉え方に成る。
仮に、趣味を楽しむ・・・本当に楽しい事だけか????・・苦悩も有る・・周りから何でそんなに苦労しても、趣味を続けるのか????・・・この問いの答えは、好きだからに成る。
不思議だ、苦は嫌だ・避けたいと思っていても、好きだとその様に捉えない・・・・
最初に書いている、第一子が生まれた時、私は責任と義務で潰れそうになったと書いたが、何故、潰れなかったか、答えは、子が好きだったからに成る。
この好きと言う、思いは、何を基準に出るのか???・・・私は解らない・・・要は理屈が解らない・・・現実は、嫌で辛い事ばかりだが・・・何故かそれを続けている、理由は好きだからとよくよく考えると成る。
簡単に書けば100嫌いな部分が有り、私に利に成る部分は0でも・・・何故か、共に居たいと思う・・・理由は好きだからしか答えが見つけられない・・・
嫌いな理由は、簡単に言える・・・しかし好きな理由は答えるのに時間が要る。
又、理由を考えていると、先に書いている様に、多々の嫌いな部分は直ぐに頭に浮かぶが、好きな部分、浮かばない・・・しかし、好きだと成る。
この部分は、人間らしい部分と私は考えている。
仮に、機械は、己以外の機械の為に、奉仕が出来るか???・・又、新たな機械を生む事が出来るか???若し、失敗作の機械が出来たら???と考えると、今言われている一般論で答えが出る。
今後、人間も機械の方向に向かっていると考えている。
些細な苦しみ、それを与えた、それが悪い・・・加害者と成る世界・・・勿論、その判断は裁判で、判事が行うが・・・判事も今後は機械・コンピューターに代わる方向に成る可能性もある。
子を育てられ、私は感謝している・・・しかし、幸が多かったと言う理由ではない・・・経験できない、苦しみを与えてくれた・・・又、親だから逃げられない、勿論、己なら絶対に有りえない事でも、子はしてしまう・・・多々の苦しみを与えてくれ、その為に、しないでよい経験も多々させて頂き、感謝と成る。
しかし、その一つ一つの苦しみを、言って、問題と言えば、誰しもそうだと、認める・・・私は、責任と義務が有る人間、問題が発生すれば、当然、確りと処理する、之が勤めに成る。
勿論、責任と義務を感じられないなら、私も、他人が言う、問題として感じ、捉えていたと思う。
人間として生きる・・これを私は大事にしている。
0 件のコメント:
コメントを投稿