2021年5月6日木曜日

三島神社と三柱神社・・・関係性

 私は神道で無いが・・・お宮さんの事と、地域の人が色々言うので、学ぼうとしても、教えてくれる、人が居ない・・・昔は宮司が居たが、今は、居ない。

昔の宮司から聞いた事やこの地域の古い、言い伝え等々を、今回書きたいと思う

三島神社、かなり古い鎌倉時代以前に遡ることに成る。

蒲池と言う、地域に成り、筑後を治めていた・・権力者が居た地域に成り、蒲池城跡に今、私は住んで切る。

要は、この地域の中心地だったことに成る・・・その守り神として、三島神社が建立されたと私は考えている。菩提寺も、同じ地域に有るし、遠くは、広川町にも有ると言う状態・・・

しかし、今は、その後、この地域を治めて、立花公が建立した、三柱神社が有名になっている。

昔は、我村の三島神社から、火が行かなければ、三島神社での祭りごとは出来ないと言う、時期が、戦後後も続いたが、それも今は無い・・・

逆に、地域の主審神社として、我が地域からも、奉納を要求される側に成っている。

又・・・三島神社は、珍しく、西から本殿に向かう形に成っている。

之も、立花公が、我が地域に来るたびに、馬・籠から降りなければ成らないと言う理由で、神社の方向を逆に変えられたと言う、話が伝わっている。

筑後地区では、高良大社の次ぐらいに出来た、神社と言う事にもなる。

この高良大社の麓で、蒲池は、大分勢と戦っている、後退し、最後は、立花の山下の戦いとなる。

色んな、戦いを生き抜いた人達が、この地域に住んでいたことに成る。

多くの殺生も行ったと思うし、その血が私にも流れているので・・・特に、人様の為に汗を流す、義務が有ると考えている。

私の苗字にその証が有ると考えている。

要は、過去の償いも含めて、苗字とは有ると思うし、当然、利の継承も有るが、負の償いも苗字には有ると考えている。

この考えが無ければ、生きている時に、負を捨て、利を貪る生き方をした方が、良いという発想に成る・・・・報いは、当然、受ける、代が変わってもと言う、価値観に成れば、今の己の振舞いも考える事が出来る様に成ると私は考えている。

この価値観が無ければ、人を騙し、利を貪り、債権者から逃げれば済むと言う世の中に成る。

要は、無法地帯と言う事にもなる。

自業自得と言う、原則まで無くなると言う事・・・・

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