何度が書くが・・・昔は、家族・家と言う単位で、家業が有った。
家が集まって、集落が有る。
当然、色んな家業の家が存在していた事に成る。
何の為の稼業か、生きる為に成る・・・生きる為に必要な物は、一つの単位の集落で自己完結で来ていた事に成る。
しかし、最近は、家の家業と言う、言葉を耳にしなくなった。
我村でも、タバコ屋・精米場・魚屋・雑貨屋・呉服屋・綿打屋・傘屋等々、多々の家業の名前で、呼んでいた。
田舎の為に、苗字の数も少なく、家を固定するのも、屋号で呼んでいた。
勿論、生活に余り必要でない、家業は、町にしかない・・・それが必要な時は町に、わざわざ行くと言う事に成る。
基本、一つの集落で自己完結できる、部分が多々あったという事に成る。
しかし、我村も、家業で呼べる家が、現代は無くなった。
生活をする為には、集落内では完結出来ない状態になっている。
之が、集落内の結束も薄い方向に向ける。
同じ立場の家が多々あるという事・・・様は、巣に居るひな鳥状態と言う事に近い・・・
この状態で、競争が始まる。隣の巣に居るヒナが、羨ましく思えてくるし、大きく叫ぶと良い物を手に入れている様にも見えだす。
集落内での共存と言う意識は無くなり、競争になり出す。
之が、校区内での自己完結も出来ない・・各校区での競争が始まる。
市内でも自己完結出来ない・・・各市同士の競争が始まる。
之が、今は国に広がり、世界に広がっている。
昔、今で言う総合商社の様な商売、庄屋と言う豪商が生まれる。
豪商が、その地域を支配する流れに成る。
私は、三流で、私の見える範囲は、狭い、村内の集落だが・・・一軒・一軒の関係性が、若し、世界迄広がっていると考えると、世界も大変だと考えている。
国が、一つの巣としてその中に居る、ヒナが国民と捉えると・・・親鳥が必要に成る。勿論、国に成る。この部分が、豪商と言う昔の家と同じと考えれば・・・
どの豪商に付くかが、大きな問題にもなる。
強い豪商の国に付いたと仮定すれば、各巣から、大きな声で叫ぶヒナ達の多々の国が有る事に成る。
豪商、商売として考えている間は、富が集中するから良いが、若し、ヒナが求める親としての部分を、強く求めだされれば・・・どう振舞うかに成る。
ヒナも成長して、言葉で権利等々を主張しだす事も有る。
この部分は、家庭での親子関係と同じと考えている。
しかし、親は老いる、子は成長する。之が、生き物の原理原則に成る。
当然、世代交代も起きる・・・しかし、親の立場は損と、何時までもヒナの状態を維持する、之も人間の知恵に成る、之が閉じこもり等々を産んでいる。
子供が荒れて、自分の欲の為に、暴力をふるう・・之もあり得る。
全てが損得勘定の価値観から持たされる部分に成る。
之が、基本で、勝ち負け論で、理論武装・・・当然、負けたら被害者として損の回復を求められるし、運が良ければ、損以上の得を得られる方向にも成る。
結局は、自立していない・・・人としても、集落としても、市としても、国としてもに成る。
昔は、村内で自己完結していた・・・当然、一つ一つの値段は高いかも知れない、又、商品の良し・悪しも、他と比べれば、悪いかも知れない。
しかし、それを受け入れて、村内だけで自己完結できる、状態が、私の幼い頃まで有った。
しかし、品物が良く、値段も安い、子のお得感を強く感じ、移動の費用も安く為れば、当然、その方向に向かった、結果、今の村内で家業で呼べる家が無くなった。
全てが、雇われ人と言っても良い・・・要は、使用人と言う事に成る。
お金の為に、人に仕える・・・考え様では奴隷とも言える。
悪く言えば、巣に居る、ヒナと同じと言う事にも成る。
着飾っているヒナも居る、之を幸せと本当に言うのか????私は疑問が有る。
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