2015年9月24日木曜日

シャーシは嘘を付かない・・・・

シャーシは嘘を付かないと私は信じている・・・・

その中で、タイヤの表面の状態・・・・之も強く意識して観察している・・・・・

昨日は、リアタイヤにもフロント同じ、異物が付着するように成った・・・・

量は、フロントに比べると少ないが、この様な経験は、2駆では初めて・・・・

ケツカキの時も出来るだけ、フロントと同じ感じを、求めていた・・・・しかし、2駆では難しいと思っていたが、出来る事が解ってきた・・・・・・・

私もスピードや瞬間的立ちを意識していた時が有る、その時は、タイヤの引掛りが非常に大事だし、面圧が大事、結果、タイヤのトレット面への路面の接地も僅かだった・・・・

しかし、スピードに対しては、指摘が多すぎる、キャンバーが深い等々の事を指摘される・・・・結果、キャンバー0度を基本にしている・・・・・

私の場合、何故か色々指摘して頂く・・・・・之を避ける為に、続けてきた感じもする・・・・トーもこの様な理由で0度にしている意識が強い・・・・

車を見られて、色々言われる・・・・・其れも戦闘力に成る部分が気に成る・・・・・・・・・・・・之なら走れない等々の方が私には、気が楽・・・・走れない事が当然に成る・・・・

走れる・戦闘力が高い車なら、操作技量でそれ以上の事をしないと、人の評価でなく、車の評価に成る・・・・・結果、回りは操作技量に興味を持たないし、使っている商品に目が行く・・・・

車のセットで、一番、大事な部分が操作技量に成る・・・・・私は、セットを公開し、続けている、ホームの仲間からは、苦労して得た部分、勿論その仲間の知恵も有る・・・・公開をしない方が良いという意見も有る・・・・・

しかし、一番公開したくても出来ない、技量が有る・・・・・・技量の種類にセットも準じる・・・・・セットも目的で変るし、操作も必然的に変る・・・・・

操作の引出が少なければ、公開しても、意味が解らないし、興味も湧かない・・・・・結局、有りえ無いで終る・・・・・・

人というのは、癖が有るし、その癖も当然・常識と考えている・・・・・結果、癖としての認識が無い・・・・・・認識がない事を、言っても理解できないことに成る・・・・

癖が抜け難い、存在と言う事に成る・・・・・一旦付いた癖は、抜けないし、直したとしても、直に戻る事も出来る・・・・之が個性に成る・・・・

しかし、考えようでは、癖なら、癖を一杯作れば、色んな個性にも対応できる・・・・・
之が、操作の引き出しになる・・・・・

しかし、ドリフトの世界、何故か、1つの癖・個性が正しいと、皆がその方向に進む・・・・癖、其れも他人の癖・・・・之を練習する・・・・・元々、その癖を持っている人が長ける事は解っている部分・・・・・・其れを後追いで・・・永遠に追い続ける・・・・・飽き出す人が出てくる・・・
しかし、癖を一旦付ける、中々克服が出来ない・・・・


ジャイロ1つを取っても・・・・昔は邪道といわれて、搭載を良い評価としていなかった・・・・・
今は、色々、理屈をつけているが、ジャイロ無しでは走れない、之が本質・・・・・・

結局、癖として体に染み付かせている・・・・ジャイロの本来の意味はアシスト・・・アシストから、無ければ成らない物に成っている・・・・・・之がグリップ走行もジャイロ無しだと出来ない方向性に成る・・・・・

走る、操作を簡素化する方向性も有る・・・・・之は実車でも自動運転等々の開発がされている・・・・・・移動の手段と考えれば正しいし、安全に、リスクを減らす方向としても正しい・・・・
RCドリフトは、何を求めているかになる・・・・走る格好等々が一番大事と成れば、最終的にPCのプログラムで走行できる方向になる・・・・・・
操作側の簡素化が進めば、この方向に成る・・・・・

私は、操作感を大事に考えている・・・・・之を求める中での格好に成る・・・・

この部分を無くせば、趣味としてのRCも意味が無くなる・・・・・・走れた・絡めた・大会に出た・・・最終的に面白くなくなり、飽きた・・・・や・・・・・・コースが無くなった、絡む相手が居なくなった、最終的に辞めた・・・・・・この流れに成る・・・・・
又は、変な責任感・・・・義務感で続けるが、評価が無い、面白くなくなり、重荷に成る・・・辞めた・・・・

2駆は、奥が深いし、難しい・・・・・・克服には何年も必要だと思うし、練習も欠かせない・・・・難攻不落、走れないから飽きない・・・・・・之も、楽しみ方の1つです・・・・・

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