2020年3月4日水曜日

節句祝いの準備・・・

日曜日、三男の嫁の両親を招き・・・・節句祝いと、一歳の祝いを重ねてする。

本来は、別々、する事だが・・・・金欠の私には無理のあために、二つの祝い事を、一つにした事に成る。

本来は、爺・婆が行う事でない・・・・親が出資し・・・それを家と言う単位で行う事に成る。

〇〇家の三男の子の祝いと言う事に成る。

この〇〇家が行う行事だが・・・・誰が出資するのか????・・・之が現代では、解り難い方向に成っている。
この部分は、各家で違うから、本来は、各家の仕来り等々が有るが・・・それを無視する人も出て来たので・・開催が難しい方向に向かっているのが、現状と思います。

私の妹も解らなかった部分に成る。
家代表する、その時の名は????・・・当然、〇〇家・家長に成る・・・しかし、病気等で、動けない場合・・・課長代理が行う事になるが・・・・名は、当然、〇〇家・家長と記する・・・・
之が解らないと言う妹は、領収書を頂くようにしてくれと言ったが・・・葬儀等々の香典に対して、領収書を求める等々、私は非常識だと考えているが・・・妹は、私が常識知らずと言う・・・・

勿論、お金を、渡すなら、領収書を頂く、権利は有るし、それが社会の常識と言っても良い、しかし、場合と時が有ると私は考えている。

我家で、法事行ってきたことも、全て、〇〇家の家長が行っていたと、妹は思っている。
しかし、下働き、お金の出資は、家長が行うとは限らない・・・
個人と、集団とは違うと言う事を理解できないでいる。

要は、全て個人が行うと成れば、この様な文化、無い方が良いと成る。
仮に、節句祝い、全て親がすると成れば、お金も必要だし、下働きも必要に成り、面倒と思う人も増えると私は考えている。

個人事と成れば、個人の趣向が大事に成るし、変える事も可能・・・行わない選択肢も当然あると成る。

〇〇家の集団事と考えれば、その家々の仕来り等々で、遂行していく事に成る。

仮に、集団を会社として考える・・・・創業70周年記念、イベントを行うと、社長が言ったら・・・・社長がお金や下働きをするのか????
勿論、社長も過去を見ると、先代・先々代と何十周年記念イベントを行ってきた、それを文化と捉えて・・・我代でも行う・・・之は自然な流れと私は考えている。

勿論、社員一人一人に、年数の重み等々、感じないし、何で、無駄な事をすると思う人も居る思うが、それは個人的、意見に成る。
個人の価値観が大事と言われる・・・しかし、集団の価値観の同じ位、大事だと私は考えている。
現代は、全てが、勝ち負け論・・・二つが共にと言う考えが無い・・・大事な方と言う、重さを言う・・・軽い方が要らない、強く言えば抹殺しても良いと言う考えなら・・・
之を個人に当てはめると・・・当然、怖い世の中と言う事にも成る。

比べられて、劣っているなら、当然、抹殺と成る

私は差別主義者だが、その様な考え方、捉え方はしない・・・当然、個人としての友禅順位は有るが・・・・要らない、必要な無いと言う部分を極力なくす、努力を行っている。

文化とは、先人が、考えて続けて来た部分に成る。当然、思いが有ると思うし、理由も有ると思う。それを全て否定する、この様な考えは間違っていると私は考えている。

集団の中に有る。文化・・・・之を維持するには、当然、個人の部分を極力、押さえる方向に成らなければ、行う事も不可能になる。

会社事と成ると、集団と言う方向での考えが、出来る人も多くなる。

しかし、家事と成ると、何故か、個人が最前線に出て来る。

個人の好みの世界と成って行く・・・・

私は、家族は集団と考えている。当然、夫婦も集団として捉えている。
己の、趣向等を表に出せない、協調性が必要だと私は考えている。

要は、個として生きるなら、己の趣向を表面に出せると思う。集団の中で生きるなら、己の趣向を出せないと言う事に成ると思う。

又、宿主か寄生虫かと言う、之も言い方に成るが・・・この基本でも変わって来る。

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