お彼岸・・・・納骨堂の鍵を開けに伺う・・・・一年間、色々有ったが、色んな勉強が出来た・・
又、次年度の担当者からも、率直な意見を昨晩頂いた・・・
結局は、我々の年代、又、先輩達の、後継者の育て方の問題が、一番の問題ということ・・・
しかし、各家庭での教育、之だけが問題かも、現代では言えない・・・・昔なら、情報も少なく、家庭や地域と言う、小さな単位での、情報で、教育できた・・・しかし、現代では多大な情報が有るし、其れを選ぶ、自由がある・・・・
何を選んで、人として成長して行くか・・・・之が個人の責任に成っている・・・しかし、其れを子供等にも広げれば、良いかは、私は疑問が有る・・・・
誰しも楽な方向には向い易い・・・又キツイ・面倒・・・この方向を選ぶ、この様な子供や人々が愚か、損と、社会全体が教えている、環境が現実に有る・・・・
今日もマスコミで、豊洲の水汚染を喚いている・・・・
誰が決めたか割らない基準・・・・不思議な事に、我が地域は、地下水にヒ素が混入していると言う事で、井戸水を飲料水とする事は危険だと言われていた・・・・
40年位前に、その対策として、一気に、水道水の普及が進んだ経緯が有る・・・・
ヒ素を飲むと死ぬ・・・この言葉が自然に普及し、我が家族が大事と一気に、普及する・・・
よく考えれば、この井戸水を我が先祖達は飲み続けて・・・現代まで成っている・・・・水道水を使って、約30年・・・・井戸水を飲んでいた時代は100年???・・・200年???・・・凄い年数、飲んでいたと思うが・・・其れが問題で、死んだ人が居るという話は、聞いたことが無い・・・
結局、騒動を起して扇動する・・・之で誰かが得をして、誰かが損をする・・・しかし、よくよく考えたら、全ての人が損している・・・・
よく、私は、この地に、骨を埋める精神には・・・この地と共に生きるという意味がある・・・勿論、この地が良い地を望む、之は人なら誰しも有る部分・・・・しかし、この地が悪い場合が現実には多い・・・之を含みで、生きる、又骨を埋めるという意味には有ると思う・・・
悪い部分も現実には有る・・この部分も含みで行き続ける・努力し続ける之が人だと私は考えている・・・・
以前も書いているが、人は神では無い・・・誰しも叩けば誇りが出るはず・・・失敗も起すし、間違いも起す・・・之を含みで人と言う・・・・
物のレベルや、善悪等々を色々言う・・簡単なことだが、之が何を意味しているかになる・・・之を人に当てはめる流れ、私は粗捜しをして何に成るかと何時も考えている・・・
この流れが、今は一般的・・・・我が家には色んな、子供達が来る・・・行く家が無い、受け入れる家が無い、結果、受け入れてくれる家に行く・・・何故受け入れないか・・・完璧な受け入れ態勢が無ければ、何か問題に成れば、責任を取らされる・・この意識が強いからだと私は考えている・・・
完璧な受け入れが出来る、家や家庭が有るか???・・・人の世界、無いと思う・・・・
若し、子供が怪我をしたら、この完璧性が無かった、この部分が問題に成る・・・・
この完璧性の判断材料で、一般的基準と言うものを作って、出し出す・・・この流れが、人を画一化していく流れに成る・・・・・・・
人には個性が有り、人各々、違う・・・・この集合体の家族の色々有ると言う事・・・勿論、地域社会も色々だという事・・・・
こんな人の営みに、誰が決めたか解らない、基準を持ち込む・・・之が事を、複雑にしている・・・
最近は、算数的な判断材料で、物のスペックを判断するかのように・・・人や、人が営む社会まで判断している・・・・・
人がどんどん、物化に成っている・・・・・之を、庶民までが行っている・・・・之をマスコミが扇動している・・・
色んな、人の営みがある、全て正しいと思うし、その世界での価値観がある・・・若し、その世界に問題が有るなら、気付いた人が努力すれば良い部分・・・
之まで、無くなれば、誰かが悪いと教え、悪いなら、壊す・・・又は出て行く、二極に扇動している事に成る・・・・
人の繋がり、家庭までがこの判断で、崩壊すれば、本末転倒の現象に成る・・・・又親子間の絆まで、崩壊させれば、人でない世界を、人々は望んでいることに成る・・・・・
私は、生れたこの地に骨を埋めたいと考えている・・・・だから、少しでもこの地域に貢献したいとも考えている・・・この地が少しでも良い方向、勿論私の価値観での判断に成るが、成ってもらいたい・・・人の世界なので、色んな価値観の人も居られる、その為に、私の価値観が正しいとは言えない、その為に、色々な事を言われる之は当然の現象に成る・・・・しかし、言われたから全てを放棄、之は人では無い・・・・
各々レベルに応じた、生きる世界がある、レベルが低ければ、低い人達との関わりに成って行く、分相応の各々の世界で、どう生き、振舞うかに成る・・・・
同じ人生・・・損して生きる之も、誰かの役に立っていれば、本望と思える生き方も有ると思う・・・
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