何にせよ・・・問題が発生する・・之を解決できる力が有れば、問題には成らない・・・・この事は力が無いと言う、証拠になる。
諺で、「トンビが鷹を生む」等々、有るが、私にはこの様な現象が起きていない、当然の流れに何って居る事に成る・・・・
力が無い親なら、産まれる子供も力が無い・・・・その因果を変える為に、口酸っぱく言っていても、聞く方に能力が無ければ、如何しようも無い・・・・
隔世遺伝とも思える・・・・私の父と同じ価値感・・・チンピラの勝ち負けの感覚が、余りにも強く影響している。
こんな、人に「負けるが勝ち」と言う、諺を言っても、解らないと思う・・・
正儀や悪・・・・この基準も現代の民主義国家の、我が国では、10人に判断させて・・・仮に8人が正しいと成れば・・・・・正しいと成る・・・・勿論、正儀とは違うが、正儀に近い、事に成る。
「赤信号皆で渡れば、怖くない」・・・・・この事は、怖くないで、正しい・正儀とは言っていない・・・・若し、怖くない、事は、良いことか、悪い事かと、10人に判断させて、8人が、良い事と判断すれば、良い事に成る・・・・良い事は、正儀か悪かと、又10人に判断させて・・・・8人が正儀と判断すれば、正儀に成る・・・・之が、言論の流れを作れば、怖い・・・・
事を進めると、本来の感覚から、違う方向に進む場合が有る、「赤信号皆で渡れば、正儀になる」と成る場合も有る・・・
この様に、言葉を、積み重ねると・・・最初の趣旨と変る場合も多々有る・・・
生きる為には、本来勝つ必要は無い・・・・負けない努力をすれば、良いし、勝つ必要は無い・・・・この生きることで、上下を作る、又、競争心を煽る・・・その為に、勝敗特に、勝ちに拘り出す・・・
この勝つ、この部分も本来、勝つ必要は無い世界で、勝つ形を求める事に成る・・・・この形を作り出せば、それに到達できない場合、不幸と考える方向性に成るし、それを得るために、行動する流れが生きる事と、勘違いを起こす・・・・
完全に、権力者の誘導・扇動に、洗脳されている事に成る・・・・
生きる形は、本来、無限大に有る・・・・・・各自の価値観で、生き方も色々有るはず・・・・
全て正しいと、私は考えている・・・・しかし、この部分まで10人の判断で、正しいか間違っているかを問う・・・・8人が間違っていると判断すれば、間違いに成る世界が、現代と言う事に成る・・・
何が趣旨か・・・之が、一番大事に成るし、この部分も各自で違うと思う・・・・・
私は、仕事を金を得る手段と考えている・・勿論、この部分で、社会貢献が出来れば幸いだが、この部分は副産物・・・・・何故、金を得たいか・・・・私の場合、家族を守る為に、必要だと考えているからになる・・・勿論、この当然の部分、意識しないでも守れる人は、考える必要も無いが、私の場合、力が無いから、この部分が趣旨に成る・・・・
結局、守る為には、負けるわけにはいかない・・・・負けない為に、頑張るしかない・・・
この生き方、考え方が格好悪いと、子供達には見えて居る様だ・・・しかし、私の子、同じ、分しかないと私は考えている・・・
仮に、優秀で一流の遺伝子を持っていれば、格好よい、事も可能だと思うが・・・・この遺伝子が三流・・・之が、解っていない・・・
この価値観が、長男には強く影響している・・・・勝手に優秀で一流の立場、遺伝子が有ると思い込んでいる・・・・こんな価値感なら、自分の意に反する事が出れば、全て、他が悪いと考える思考回路になる・・・・
自分に対しての反省が無ければ、成長も止まるし、その時が、子供の頃なら、永遠に子供の状態と言う事に成る・・・
この様な単純な価値観なら、誘導する側は楽・・・・
誰しも、個性が有り、与えられた環境も違う・・・・この部分が有るから、今の自分が有る・・・・この部分を無視し、正しいと言われる、扇動で、その形を目指しても、手に入れる人も居るが、逆に永遠に手に入れられない、人も居る・・・・
人の違いを、確り認識する事に成る・・・・自分が楽と感じても、違う人ならキツイかも知れない・・・
自分が、楽しんでいる、しかし、他人は楽しんでいないかも知れない・・・・
この違いを、考える事を、差別と考える人も多い・・・私は全て同じ事が、逆に差別と考える・・・・
違いが有るから、面白いし、楽しいと考える・・・・しかし、長男は之を認めれない、結果、投げ出すし、キレルと言われる、方向に進む・・・・
何故、各自違うと考えれば、自分は変り者と認識ができる筈・・・・変り者が他と一緒なら之こそ、不思議だし、苦労する事は当然解る筈・・・・
若し、他と同じと思うなら、その他といっている、人達は何を指しているか????・・・・絵に描いた餅の可能性が高い・・・・
勿論、現実に沿う、絵なら良いが・・・・自分で勝手にイメージする理想を積み上げた絵に成っている可能性が高い・・・・・
之を絵空事と言う・・・・
我が子も含め、何故か、回り、同年代の人を意識し過ぎているし、その部分で、ドングリの背比べで、優越感や劣等感を感じている・・・・・
この様な部分も、本来、昔は青年団等々が、有って、先輩等々の繋がりも有ったが、それも無い・・・
又、青年団で、村の行事等運営していると・・・色んな家庭の状況等も見えて来るし、高齢者だけの住まい等々への配慮等、考える様になる・・・・
しかし、今は、世代間での壁が有るし、将来の自分の姿もイメージが出来難く成っている。
この様な子供達が、将来の日本国を背負う・・・・勿論、その時に高齢者に成る立場の人も居る・・・この様な人の存在を、認識しているかに成る・・・・勿論、関係ない、死ねば的扱いを受ける、方向に成ると思う・・・・
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