私は、子供の頃「一国一城の主」この響きに憧れていた。
勿論、若い時は之を求めて、頑張たが・・・・「一国一城の主」の趣旨・意味が変わって行く事を感じた。
昔は、自分が思う様に成る、自分勝手な考えだった・・・・主の意味も、文字通り主(しゅ)は私、という考え・・・一国や一城と言う事はその他の人が多い事に成る・・・その他は基本 下僕と考え、主私が、気に入れば、登用する、生活をUPさせる・・・この様な、幼い下等な考えを持っていた。
之が、独裁的、命が私には有ると言う証拠に繋がる。
一国や一城の主(あるじ)の本来の振舞いは????之を、考えるようになる。
社会的にも仕事的にも、部下が出来・・・その人達を如何する???・・・・私生活も含め、部下の人生の責任が私に有ると考える方向に成る。
勿論、人には個性が有り、不得意・得意も違ってくる。会社・社会が求める個性が有る・・・しかし、部下は違う・・・・之が悩みに成る・・・勿論、会社側と同じ価値観の人も居るが、逆に違う価値観の人が居る。当然、違う人が人数的には多い・・・
特に私が働いていた会社は、ワンマン社長で、独裁的運営を行っていた。
結局、社長と社員の間に立つ人間に成った私は・・・何時も社長を説得する方向に成って行くし、社長と確執が出て来るが、勿論、社長が望んでいる、利益・・・会社を大きくしたい、この部分は確り遂行する考えて、社長とケンケン・ガクガクを続けていた。
社員、私一人の会社が、地域では大きな会社まで成ったが・・・この時に学んだ経験が、今の私の財産に成っている。
仕事の考え方も人の数だけ色々有る。単純に対価を求めている人も居る。仕事で人間力を磨きたいと言う居人もいる。同じ、仕事だが、求めている部分が各自違う事に成る。
この経験が無ければ、大昔に私は家庭を崩壊させていたと思う・・・簡単に書けば、妻との離婚・・・
一国・一城と言う事は集団に成るし、集団の長と言う事が主(あるじ)に成る。
私の思う様にならない、価値観が違う人は要らないと言う考えに成れば、当然集団の維持が出来ない主(あるじ)と言う事に成る。
何度の書くが、人の数だけ、価値観が有るし・・・・・全て同じと言う人は居ないと私は考えている。
若し、近い価値観の人とは、何が始まるか???当然、競争に成る。
この競争も、価値観で変わるが、勝ち負けが起きるが、この現象の考え方捉え方も、価値観で変わる。
昔からある様に、有る一つの価値観で、敗者を考えれば、「敗者は去れ」と言う方向も有る。
結局は、価値観が違えば要らない・・・同じ価値観でも、競争を行えば、当然敗者が出る。この敗者も去れなら・・・・主(あるじ)に成りたいと思っても、人が居ない、孤独な立場、人生に成ると私は考えている。
競争が正しいと成れば、多くの敗者と作り、一人の勝者を作ると言う意味・・・・
勿論、自分の為の競争しか頭に浮かばない、価値観の人の場合に成る。
この部分が、利己主義が利他主義かの価値観の底辺部分に有る・・・大きな方向性の違いに成る。
しかし、利己主義は人の本質、本能の為に、解りやすい・・・・利他主義は人の為と言うと耳障りが良いが、現実は、何度の書いているが、利己主義が蔓延している世界では、負己主義と成る。
負は自分が背負うと、本当に思えるか????之が難しいし、現代の報道や情報を見れば、この部分を他に押し付ける方向性が普通と思える、方向性を作っている。
昨晩、コースに伺った・・・当然、負も感じる・・・この負は誰の責任、誰が背負うのか、当然、縁が有る私と成る・・・・勿論、私にも優先順位が有る・・・今は一家の立て直しが私には重に成る。
しかし、之も厳密に考えると、利己に繋がるからに成る。
縁が少なく、責任が無いと思える方向を、優先順位の後ろにしてしまう。之も、三流の人間なので仕方が無いと考えているが、この部分も人間力を高めて一流と言う方向を目指すなら、頭から忘れる方向だけは、絶対にしないと考えている。
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