年を追うごとに、閉塞的な感じが強くなる・・・・
環境もそうだが、自分自身の心が・・・・・・
負けない生き方を頑張っているが、挫けそう・・・・
社会全体がこの様に成っていれば、子供達の未来が悲しい・・・子供達には、確り色々人間としての生き方を教えているが、環境が其れを否定してしまう。
人間社会・・・組織化され・小さいグループ化されている、之は否定できない、しかしその部分に差別化がされている事が間違いだと考えています。客観的に区別は有る、しかし其れを良い・悪いと差別する部分が本来、人間が持っている部分、この部分を教育で、冷静に分析して自分自身がどの様に関わるかが大事だと私は、考えます。仮に社会的力が有り・経済力が有るグループとその逆のグループ・・・・どっちに入りたいかは、人間、殆ど力が有るグループに属したいと考えるのは当然・・・・しかし逆のグループを否定できないがその様な人は全否定・・・しいては存在そのものを消そうとする・・・人間に内在しているエゴ・又弱肉強食の動物的本能だと思う・・・・この部分を、教育で真実の人間としての目を養う部分だと考えています。
しかし、小さな世界RCドリフトでもその様な状況が、強く存在する。多様性の有る人達が、取り組み、経験値・技量差・操作感等・一杯違いが有る、一度私に言われた人がいた、綺麗に走りたいとも考えていない、ただコースを走るだけ、グリップコースだと速度差が多く、大事な車が壊れるからドリフトコースで走っていると・・・・・色んな方が走行されている。どの考えが正しいかと考えると頭が痛くなる。皆が各々の考えて走行している之が基本・・・しかし秩序が無い・・・その為決り事が増える・・・しかし秩序の基準は力が有る人やグループの意見が尊重される。
しかし、力が有るグループ等は価値観の近い人が結束している。その為狭い考えでの秩序になる。特に絡み以上に走り・スタイルを気にしてあるグループだと・・・・・益々閉塞的になる。よく考えると解ると思います。殆どの方が唯、ドリフト走行をしたいとRCドリフトを取り組みだした事を・・・・私は、その部分を一番、重視する事だと考えます。
その後、その人が行き詰った時に、良いアドバイスが出来る事、間違ってもストレートに否定していけない、違っている場合は、その人が解るように理論的に説明・・・・理論が解らない人は、提案位に留め・・・之が凄い等の説明は、考えの一極化を招くので慎む・・・・勿論、名を出している凄腕の人達・・・相手が信じ込む為・・・・・
レベルの差は必ず存在します、間違っても心の中で全否定して存在その物を否定する事が無い様に願います。ドリフトコースをどうであれ走って有る方は、全てRCドリフターです、大事な仲間です。
人間です、好き嫌いは存在します・・・しかしその本体の人は尊重してください・・・・
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