人々は、価値観の強制的な方向に、宿主側が求めている、要は、寄生虫側に得する事でない、其れでも競争して争うのは、勝てば商品が凄い、此を求めて、寄生虫どうしで腹の探り合いを行いをしているし、その考える基本が方向性が同じ価値観で成る。いくつかの病院を回ったが、入院している患者さんの顔が全て同じに見える。私は、争った・・・この病にのみ込められたくない気持ちが強く、その時の体の状態でどの様に対応できるかを考え、ナースコールも押せない、動く部分は、記憶だと、左足1本・・・其れをベッドの淵に叩き付け、看護師を呼び、意思疎通が出来ないので、看護師さんが此処ですか等の部位を言われ、それに応える形で、此処まで回復した、この病室の患者さん、私が悪い頃と比べると、良く見える。私は看護師に迷惑を掛けたくないという一心で、体を正常方向に向けた。人は必ず死ぬ、その瞬間のために生きて居ると言っても良い、だから、健康なときに何を求めて生きているのかと、私は何時も疑問符を求めている。
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